第1章

14/31
前へ
/31ページ
次へ
 レンタカーは明日の夜まで借りているから問題はないが、そこまで行くとなると二百五十㎞以上走ることになる。病み上がりの加奈子のことを考えると心配だった。    雅宏にとって日本の道路は中東の悪路と比べれば、痛んだ絨毯の上を走っているようなものだった。百㎞、二百㎞だとしても苦にならない。 「疲れているなら、宿毛市内で泊まろうか」 「車は楽だけど、ちょっとお尻が痛くなりそう」  加奈子が正直にいった。 「分かった、今夜は宿毛市内で泊まることにしよう」  無理することはない。結願の日が決まっているわけではない。順打ち、逆打ち、通し打ち、区切り打ちと自由である。どんな方法にしろ八十八ヶ所を参拝し終わったときが結願で、高野山へのお礼詣りがすめば満願となる。  金剛福寺を出た車は、県道三百四十八号線を、第三十九番札所延光寺に向かって走った。六十五㎞の道程だった。およそ一時間三十分で着く予定だ。足摺スカイラインを逆戻りして県道を走り抜けると三叉路に突き当たった。そこで標識通り左に折れた。  ここから国道三百二十一号線になる。海の駅「あしずり」でトイレ休憩し、足摺サニーロードに乗って西下する。ほどなく道の駅「めじかの里」を横目で見て通り過ぎた。  この海岸通りは観光施設が多いところだ。日本で初めて海中公園に指定された竜串とか足摺海底館、少し足を伸ばせば弘法大師が見残したことから、名前が付いたといわれる見残しなどがある。  トンネルを二つ抜けると叶埼灯台や、太平洋を望めばなるほど地球は「円い」と実感できる黒潮展望台というのもあった。  しばらく海岸道路が続いた後で、また山あいの道になった。かと思うとまたまた海が望める道になる。そんな繰り返しが続き宿毛市に入った。  やがて二股道に突き当たり、標識を見て右にハンドルを切った。国道五十六号線だ。延光寺まではあと六㎞余り。時計を見ると四時前だった。ゆっくり参拝しても納経所が閉まるまでには余裕があった。  第三十九番札所延光寺に着いた。高知県内最後の札所だ。驚いたのは山門を潜ったところに梵鐘を背負った「大赤亀の石像」がでんと鎮座していたことだった。何か謂われがありそうだ。    土佐路の最南端「修行の道場」最後の霊場である。現在の山号、寺名の由来にかかわる竜宮城の縁起から紐解くと、時代は平安中期、延喜十一年のころ、竜宮に棲んでい た赤亀だという。
/31ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1人が本棚に入れています
本棚に追加