第1章

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   第三十二番禅師峰寺へはバスで行くことにした。ホテルを出て少し歩くと停留所があった。ホテルから四㎞足らずだから十分余りで着いた。  寺は標高八十二㍍という小さな山の峰にあった。太平洋のうねりが轟く土佐湾の海岸近くだった。地元では「みねんじ」とか「みねでら」「みねじ」と呼ばれて親しまれている。  また、海上の交通安全を祈願して建立されたと言うことで、海の男たちは「船霊の観音」とも呼んでいる。漁師たちに限らず、藩政時代には参勤交代などで出港する歴代の藩主は、みなこの寺に寄り航海の無事を祈った。  縁起によると、行基菩薩が聖武天皇から勅願をうけて、土佐沖を航行する船舶の安全を願って堂宇を建てたのが起源とされている。のち、大同二年奇岩霊石が建ち並ぶ境内を訪れた弘法大師は、その姿を観音の浄土、仏道の理想の山とされる天竺・補陀落山さながらの霊域であると感得し、ここに虚空蔵求聞持法の護摩を修法された。  このとき自ら十一面観世音菩薩像を彫像して本尊とされ「禅師峰寺」名付け、峰山の山容が八葉の蓮台に似ていたことから「八葉山」と号した。 「船魂」の観音さんはいまも一般の漁民たちの篤い信仰を集めている。仁王門の金剛力士像は、鎌倉時代の仏師定明の作で国指定重要文化財。堂宇はこぢんまりと肩を寄せ合うように建っているが、境内は樹木におおわれ、奇怪な岩石が多く幽寂な雰囲気を漂わせている。  芭蕉の句碑「木がらしに岩吹き尖る杉間かな」は本堂前の奇岩の間にある。  境内からの眺めは秀抜で、太平洋や桂浜が、手の内に捉えられるような、そんな錯覚さえ憶える眺望だった。  加奈子は念入りに拝んでいた。  この寺が船の安全を守る「仏様」と聞けば、おざなりの合掌だけで通り過ぎるわけにはいかないだろう。加奈子がこうして家業をほったらかして、雅宏にくっついて来られたのも、持ち船に乗っている清水良助やその仲間たち、ひいては家業を守っている祖父母がいるからである。  長い祈りだった。もしかすると雅宏とのことで母親の美春に詫びているのかも知れない。 「気が済んだかい」  そんなことを気遣って雅宏が訊ねた。 「うん……」  加奈子は無愛想に答えた。何か鬱屈したものを抱え込んだのかも知れない。
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