第1章

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 雪蹊寺で出家し四国を十七回遍路した山本玄峰師は、まさに行雲流水の禅僧である。  加奈子が禅師峰寺での雅宏と老人の話を思いだしたのか、 「あのお歳になって、手形に追われているなんて、辛いはねえ」  加奈子が気の毒そうに呟いた。 「そうだな、どんな商売なんだろうな。手形決済といってたから、それなりの商売だろう。加奈ちゃんところはどうなん?」 「銀行取引はあるけど、手形決済は一切していないです。今の時代だから小切手はきっているけど、預金が銀行に残っている範囲内だけで、昔から手形は切ったことはないです」 「堅実な企業なんだ」 「魚が獲れてなんぼの商売だから、先付け手形なんか絶対に振り出さないです」  漁師の世界は熟知しているようだ。  昔と違いいくら魚群探知機が発達したからといっても、魚が海の中にいないことにはどうにもならない。自明の理だ。しかし、文明の利器を使って乱獲する手合いもいる。だから沖へ沖へと獲りに行かざるを得なくなる。鼬(いたち)ごっこの連鎖でしかない。 「自然相手の商売は難しいわ」  いずれ加奈子の肩にその重荷がのし掛かるのであろう。だから加奈子はそんなリスクを少なくするために、養殖事業を目ざして勉強してきたのだ。  それでも自然は侮れない。赤潮などという天敵がいつ何時襲ってくるかも知れない。 「どんな事業も難しい時代なんだ。これなら大丈夫という事業などまずないからな」 「そうよね、時代の流れが激しいから」  昔から商売は三十年で盛衰するといわれている。逆にいえば三十年保てば御の字だといことだろう。  いつの時代が来ても生き残る業種は、食の業界だけかも知れない。そのてんだけでいえば漁業界は安泰な業種かも知れない。  第三十四番札所種間寺へもバスを使った。雪蹊寺前から バスに揺られて春野役場前で下りた。そこからおよそ一㎞余り歩くと種間寺だった。  土佐湾の沿岸は四国霊場のメッカのようだ。種間寺もその一つで、土佐湾の航海に結びついた興味深い縁起が伝えられている。  六世紀のころである。敏達天皇に百済の皇子から多くの経綸とともに、仏師や造営工を贈る旨の勅書が届いた。彼らが渡来したのは用明天皇の時代、そして大阪四天王寺の造営にあたった。ようやく落慶してその帰途の航海中のことであった。
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