第1章

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「大丈夫?」  雅宏が声を掛けると、 「昨日は、ご、め、ん」  元気な声だった。この調子なら休養せずに出発できそうだ。 「何なら、休養してもいいんだよ」 「点滴と睡眠薬貰ったお蔭で、ぐっすり眠れたから」 「高知もあと四ヶ寺だけになった。長い道中になるから、レンタカーで行くことにした」    「私のために?……」 「いや、そうじゃない。お四国参りを考えたときから、足摺岬周辺の三十六番から四十番札所まで、そこから愛媛けんに入り四十三番札所辺りまでは車で行こうと考えていた」  ホテルで朝食を済ませた二人は、改めて部屋に帰り、遍路装束に身を固めてホテルを出た。四月も終わりに近づくと、南国の日差しが菅笠を射し、早くも暖まり始めた舗道から照り返しが反射してくる。  車は普段乗っている車種を選んだ。もちろん国産車である。慣れぬ山道だから乗り慣れた車ほどいい。  レンタカー社の駐車場を出ると、国道五十六号線であった。ハンドルを右に切ると中村街道に出た。すぐ三叉路に突き当たり、ここでも右手にとった。ここからおよそ十二㎞走れば目的地に着くはずだ。  標識を見落とさないよう慎重に運転する。しばらく走り交差点を右にとると、県道三十九号線になった。ほどなくして塚地坂トンネルに入る。そこを抜けるとすぐ県道四十七号線に変わった。  右前方に金色の大師像が目に飛び込んで来た。案内標識を見て脇道に入ると、急に道幅が狭くなった。また二手に別れた道を右に進むと、参拝者専用の駐車場があった。駐車場は二ヶ所あり、奥の駐車場は無料である。    第三十六番札所青龍寺は、弘法大師が唐に渡り、長安の青龍寺で密教を学び、恵果和尚から真言の秘法を授かって、真言第八っ祖となられて帰朝したのが大同元年である。  縁起では、大師はその恩に報いるため日本に寺院を建立しようと、東の空に向かって独鈷杵(どっこしょ)を投げ、有縁の勝地が選ばれるようにと祈願した。独鈷杵は紫雲に包まれて空高く飛び去った。  帰朝後、大師はこの地で巡教の旅をしているときに、独鈷杵はいまの奥の院の老松にあると感得して、ときの嵯峨天皇に奉上した。大師は弘仁六年この地に堂宇を建て、石造りの不動明王像を安置し、寺名を恩師にちなみ青龍寺、山号は遥か異国から放った「独鈷」を名乗っている。
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