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年齢も50歳、最早孫を持つ年齢に達して彼女は何を悟ったのか「英会話」の勉強に目覚め、暇があれば、耳にへッドホ-ンを差し込んで電波の向うの見知らぬ外人との会話に打ち込んで居る。
テーブルの上には単語のスぺリングを書き散らしたノ-トが散らばっている。
その時は家族が何を語り掛けても「シャットアウト」である。
彼女の勉強嫌いに悩まされて来た母親の私には、始めて見る彼女の勉強ぶりではある。
マァ遅まきながら「自分」に目覚めたと言う事なら「悪い事」をしている訳では無い」
然し忙しく個人企業で働く彼女の夫にしては、もっと家業の手助けを自分の事として打ち込んで貰いたい訳である。
遅い子持ちで今年高校受験の次男にしては、母親が「英会話」の勉強に打ち込むより、細やかな気使いが必要なのに全く大雑把なA子に、孫大切な私には心配この上無い訳である。
次女の余り実際的な利益を生まない中年過ぎての向学心のゆく手に、何が生まれるか悩んでいる私である。
長男孫のHは今年23歳になる。
これが私の果てしない「悩み事」の元であるかも知れない。
知能は絶体低い人間では無いのだ。
然し幼少時「注意散漫多動性多動性疾患」など専もらしい病名を付けられた通り、よく動き廻り、保育園・小学校などの所謂「決り事」を守る と言う事が苦手な子だった。
「多動」は活動的、「注意散漫」は夢が多いと考えれば「長所」である。
ある私立大学の3年生として頑張って居る彼の成長を信じるべきなのだろう。
只「金が無い」とこぼしながら余りパ-ト等あくせくしないで呑気だ。
幼い時、資格を取る母親の代わりに彼を預かり、甘さの限りの「三文安い」年寄りっ子にしてしまった「罪悪感」に悩んで居る私である。
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