追憶

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「結局私も、賢くは生きられませなんだ。」 凍てた空に薄ぼんやりと浮かぶ陽が淡白な光を地に落とす。そんな陽を見上げながらに一つ息を吐けば、瞬く間に辺りが白く色づいた。やがて空気は段々と色を失い透けてゆき、目の前の景色を元の通りに少しの曇りも無く映しあげる。 「考山様、」 鈍色の雲へ諦めたように笑いかけてみる。私が口先でかたどった名に答えるものは、何も無い。俗名も、法名も重たいように感じ、今なお彼を慕っている民と同じように彼が最後を迎えた寺の名をとり呼んではみたが。私が故郷へ居たあの頃とは違い、答えてくれる人は居ないのだから、結局はどの呼び名でも良かったのだと言い終えた後に気が付く。そして呼び方を変えようとも、私の心の内が帯びる景色は何も変わることは無いのだと。悟った。 また息を吐けば視界が白く霞む。視線を僅かに下げると葉を全て落とし終えた枝々をしんと伸ばし、木々が静止している。寒さに身を萎縮させるのか、それとも霜のわずかな重みに堪えかねたのか、時々幹の軋む音が凍えた空気を震わせた。 ―貴殿はどうか、賢く生きられよ。 それは彼より贈られた言葉の一つだった。 先日私が旧君の旗揚げを耳にした後、故郷を離れてより世話になっていた家を発つ事を決意した昨日までの間。私の頭の中で繰り返されていたのは沢山の彼からの言葉だった。そしてその一つ一つを思い出すたびに惑っている自分に気づかされながら、私は彼の迷いを知った。首を傾げるばかりで当時の私が推し量る事も出来なかった彼の迷いのわけも心も、今ならば察することが出来ただろうにと、私は自分を嘲った。 「さあ、私は。一体誰に似たのでしょうな。」 小さな声はうずくまってすぐさま消えた。少し遠くへ見える竹林の軋む音は乾いた空気によく響き雲も空も突き抜けそうだったが、私の声は低い空に浮かぶ雲へさえも届きそうには無かった。ましてや故郷までとなれば、言うまでも無い。
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