3.祭の朝

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例えば、もしもの話だ。 12歳の裕美がSHOUTに出会わなかったとする。 彼女はとてもつまらない毎日、薄暗く部屋と涙の枯れる自分の姿を想像した。 「ウタさんに会わなかったらきっと、私は人生をつまんないとしか思えない生き方をしてたと思う」 掌に力が入る。 古傷が痛むような気分。 それでもまだ、笑えるようになっただけましだ、と思っている。 染め直しを繰り返し疲れ切った毛先をつまみ、指に絡める―――するりと指先を逃れるその束。 後ろで同じように、彼女の髪の毛の先を掬う気配を感じた。 裕美の耳元をすり抜けウタさんへと投げかけられた、リュウの穏やかな声。 「俺たちだってネバーランドの住人じゃない。否応なしに前進させられてる」 だけどまだ、その時じゃない。そういう声は何を思い出しているのか、とても暖かい波長だ。 裕美は振り返らなかったが、きっと彼は声と同様柔らかい表情をしていたのだろう。ウタさんの顔が脱力するように、安心した笑みを浮かべる。 店の空気が似合う、彼女の大好きなウタさんの顔。 眼鏡の奥で細められるその目が嬉しそうで。 それがまた裕美を安心させた。
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