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春の雪
愛しい恋人が笑っている。
都会に降る珍しい春の雪に手を伸ばし、無邪気に走りながら。
「転ぶよ、アキ」
「大丈夫―」
なんて楽しそうなんだろう。
たかが雪なのに。
雪国育ちの自分には理解できなかった。
雪といえば・・・。
家にのしかかる重たい雪。
家の窓を塞ぎ、道を塞ぎ、生活の邪魔をする厄介者でしかなかった。
なのに――
「はい。正司さん」
ちいさな雪だるまにさくらの花が2輪、髪飾りのように刺さり、風にゆれていた。
「僕に? 」
「なんか元気ないから」
アキの手を見れば手袋をしていない。
「アキ・・・」
「ありがとう。でもこれは車に乗せたら溶けてしまうし。僕はすぐに君の手を温めてあげたい。子供達に、いたずらされてしまうのも嫌だから、手の届かない・・・あぁ。あそこに置いて帰ってもいいかい? 」
「うん。まって、写真撮ってからね。・・・・はいOK」
僕は雪だるまを背の高いオブジェの上に置いた。
きっと明日の天気ですぐ溶けてしまうだろう。
でも僕の心に届けられたアキの心遣いは無くなることはない。
「アキ」
「何? 」
「手を」
真っ赤になった恋人の指先を唇で温める。
公園とはいえ街中でそんなことをされて恋人が赤面した。
「車に乗ろうか」
急いで駐車場まで戻る。恋人を温めなくては。
車に乗ってエンジンをかける、ヒーターを全開にして
コートとシャツのボタンを外した。
「しょ、正司さん? 」
アキがうろたえている。
「手を出して」
「え? 」
「両手を、素肌に。早く」
アキは困ったように正司の締まったわき腹を触った。
「うわ、あっつい」
「しばらく、じっとしてて。いいね」
わき腹が氷に触られたようにつめたい。
ピアニストの大事な指で、ただ僕を元気付けるためだけに・・・。雪なんて。もう一生分見てるのに。
「アキ。触る位置を変えてごらん」
「ん。あ、あったかい」
だんだんアキの手が常温に戻ってきていた。
どうか音楽の神様に愛されたこの指が、なんの感覚も変わっていませんように・・・。
「正司さん? 」
「ん。なんだい」
「深刻な顔しちゃって大丈夫? 」
「手はもう・・・温まった? 」
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