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由里です。
ここからまたアタシが少し書いていきます。
その後の生活は、ただひたすらバイトし続けてる日々。
何のためにバイトかも特になくて、当時飼っていた先代のフェレット♀「シナモン」の飼育費用や生活費を稼ぐために週5から6、連勤するときもかなりあるくらい、喫茶店で働いていた。
バイト中のアタシと、ひなこは
やはり全くの別人になるので、周りの同僚も様子がおかしいことには気付いていて、いつものようにアイスティーを休憩のときに頼むのは「ひなこ」、アイスコーヒーを頼んだときは「機嫌が悪い、ひなこ」(苦笑)
って思われていたらしい。
まぁ、変わり方も比べ物にならないから
自分から、一緒に働いている人たちには、自分たちは解離性同一性障害(多重人格)ということを、カミングアウトしたよ。
その時の周りの反応は「あぁ、なるほど。」・・・(笑)
そんなに違いが出てたのねって程、多重人格否定派の子まで納得するほど違いの差が大きかったみたい。
アタシも今ではだいぶ丸くなったというか、協調性に気を付けているけれど、それでも昔からのお友達とか彼氏には、今は由里ちゃんだよね。って言われたりすることも、しばしば。
でも、なんか、確かに基本人格以外の人格の子は作られた人格だから、自分だけの身体が欲しいって思ったこともあったよ。
どんなに願っても叶わないんだけれどね。
ちなみに、アタシ「由里」は
家なき子時代の生活が始まるときに生まれた人格だよ。
ネカフェ難民とか、まだネカフェ環境が今よりも質が落ちてたから正直、結構ハードな生活だった。
それでもなんとか生活していたのは、まだ死にたくなかったからなのか、消えたくなかったからなのか、どちらでもない生きる目標探しだったのか。
今、考えてもやっぱり分からないままだね。
黙々とバイトの仕事に集中しすぎてて、怖がられていることすら当時は気付かなかった。
ただ一つ、やっぱり主人格のいきいきとした時代は
そう簡単には、戻ってこなかった。
きっと、フェレットのシナモンが、ギリギリのところで
ひなこの自殺を止めていたのだろう。
ネカフェ難民とかしていたけれど、シナモンのお世話はちゃんと毎日していたから。
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