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うたこウタコUTAKO…
「詩子!!!!」
はっと口をつぐむ。
しまった、教員室の前で大声を張り上げてしまった、しかも自分の名前。
「…び、っくりしたぁ、どうしたの?」
目をまん丸にして、見つめると目を逸らす、…この確信犯!!!
「せ、先生、今、詩子って!!」
ギクッ
効果音がつきそうなほど肩を震わせる。
「ごめん、矢神。みんな呼んでるから間違えた…。」
「いえ、大丈夫です。初めて先生が生徒を名前で呼ぶところを拝聴してしまったのでなんというかかくかくしかじか…。」
「かくかくしかじかて。」
なんだろう、小馬鹿にされた気分。あれおかしいな、今は私の方が立場上の筈なのに。
詩子はただ呆然とする。
「矢神ってさ、先生生徒、男女問わず詩子って呼ばれてるじゃない?」
まあそうですね、と表情のない相槌。考えてみれば、うた、うたちゃん、うったー、うたぽん、うたこちゃん、ぽえむん等の様々な愛称はあるものの、全て「詩子」をもじったもの。ちなみにぽえむんとは、詩子の詩の字からきたものだ。
廊下で初対面の人に、しかも男子生徒に君がぽえむんだよねと言われたときには、自販機で買ったミルクティーを危うく落とすところだった。…あの事件は、まだ記憶に新しい。
矢神という苗字で呼ぶのは冗談抜きで先生だけだったのもあって、最初は非常に新鮮だった。
「教員室とかでさ、よく矢神の名前が挙がってるのを聞くんだけど、それを一年続けてるとつい言っちゃうもんだと思うよ。」
へぇ、私の名前を。
まぁ無理もない。詩子は成績こそ上の中と中の上の間なものの、全ての授業において最低限の板書しかせず、そのくせ定期考査は応用問題より基本問題で点を落とすことが多いという謎の生体であるのだから。事実、普段から詩子が普通と少しずれていることは否めない。
その辺は詩子自身わかっているつもりなので、先生の言葉を左から右に流し、勧められたクッキーを一枚いただく。
一口囓ると、ほろり。
サクサクの生地がもろく崩れて溶けるのと同時に、結んでいた紐が解けるように、芳ばしいバターの香りと黒砂糖の濃厚で上品な甘みが交差して、そのえもいわれぬテイストがあたたかく包み込む。後から押し寄せる小麦の風味は、風のように舌の上で踊り、そして鼻に抜ける。
「…美味しい」
先生は人の笑顔を作ることに長けている。
だってこんなに、優しい味。
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