第一章

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***以下本文***(約30074文字) ◆第一章◆  私は生まれつき視覚と嗅覚がありません。  両親は私を哀れみ大切に育てて下さいました。両親は私の将来を憂い、幼い頃から働く為に必要な事を躾けて下さいました。  盲目で嗅覚もない私に出来る事は限られてます。幸いなことにきめ細かい味覚と寸分違わぬ採寸と質感判断が出来る触感を持っていることが判り、料理を生業とする道を目指すことになりました。両親から将来の私が在るべき姿を教わり、私は両親の願いを叶えるべく、在るべき姿を追い求めました。  料理は火を使います。盲目の私にとって火は野生の獣を扱うようなものです。猛獣を籠の中で扱うかのごとく、火種が外に漏れないように、肌から伝わる熱と、調理の音を頼りに火を慎重に扱っておりました。  一人で調理をしていた時、火種が飛んで小火を起こしたことがありました。預かり知れない場所から熱を感じた時の恐怖は、視覚がある方には判らないかと存じます。熱量が増していく火を前にして私は何もすることが出来ませんでした。幸いなことに両親が早くに気付き、消火してくれたので大事には至りませんでしたが、私は暫く料理をする事が出来なくなりました。苦い経験でした。両親は私を叱らず、同じ過ちをしないための方法を一緒に思案して下さいました。  小学生の頃に料理を学ぶ中で一番苦労したことは香りでした。私は嗅覚がありませんので香りの概念を理解することが出来ませんでした。  弟は私の料理を「臭い」と常日頃から評していました。その度に、両親は優しく弟を窘め、弟は我慢して私の料理を食べていました。香りで嫌な思いをさせてしまっている事に、私はかなり悩みました。弟が臭いと感じるのなら、両親も同じように臭いと思っているに違いありませんでした。  ある日の食事中、両親が弟に囁き声で話しかけているのが聞こえました。私の聴力は優れていましたので、私に聞こえないように話していても聞こえてしまいます。 「臭い物には蓋をしなさい」と父が言うと、 「どういう意味?」弟は尋ねます。 「鼻に蓋をしなさい」そう云って、父は何かを弟に渡しました。  私は目が見えませんので、父が弟に何を渡したのか判りませんでした。  その日から、弟は香りについて愚痴を漏らさなくなりました。  恐らく耳を塞ぐように、鼻を塞いだのでしょう。弟の行為に私は気が滅入ってしまいました。
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