少女期の終わり

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 茉莉花には祖父から洋行の土産で贈られた革装の日記帳があった。  小口にはマーブル模様が入った、羊革で装丁された美しい一冊で、日々の出来事より、大きな出来事をひとこと書きつけるために使っていた。  とても豪華だったのでつまらない一文で埋めるにはもったいなく、それなら書きつけるに相応しい出来事には何があるかというと、非凡な出自に見合わない平凡さで過ごしてきた彼女の人生に大きなイベントはそうそうなかった。  当日はたいそうなことでもないと思っていても、後に「何故、あれが書かれていないの」「これだけではわからない」と頭を抱えることもしばしば。  日記帳ではなく、備忘録の役目も果たしていない。  茉莉花は思う、本当に大切な出来事は自分だけ、心にだけしまっておきたかった、後になって思い出したくないことも書きたくなかった。ペンで書かれた名前はいくら塗り潰しても黒々と残るから。  敗戦直前の日々を見直してみて、特に思った。  これでもかとペンで塗り込められたページには、婚約者だった人の名が、出征前に半ば強制的に仮祝言させられた相手が書かれていた。  長兄が死に、次兄の安否もわからず、大学から研究所に動員されていた三兄にも赤紙が来て、出征が間近だった。このままでは、男子が途絶えてしまう、と跡取りに選ばれたのは、かつて茉莉花が見合いの席を壊した相手だった。  私には心に決めた人がいる! と口に出して訴えたところで、まだ子供だった彼女に何ができただろう。女子供の戯れ言だと相手にされないのがオチだ。それに古い家長制度が生きている時代、娘が父親に逆らえるはずがない。
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