第1章

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■ 「なるほど。楠本さんには私の前に大切な『センセイ』が居たわけですか。」 「ええ。だから他の子達のように先生に恋愛感情を持ちません。安心してください。」 白衣の人は面白そうに片眉をあげた。 「……ということをわざわざ言う程には、私のことを意識している、でしょう」 見抜いているなら、聞かないで。 インカの岩塩がアンティークの薬棚に置かれている。 先生はその日の気分でデスク横の一等席に入れる標本を変えるらしい。 理科準備室のスチール棚には、ここに並ぶのを待っている標本達が眠る。 「あ」 葉脈だけになった小さな葉を見つけた。 レースのように透けている。 「どうぞ」 「でも、」 「これは簡単に作れるので。」 「そうなんですか?」 「液に浸けて、いらないものを取り除くんです。 そうしたら、繊細で美しいものだけ取り出せる。」 先生は私の手を開き、幽かな重みの葉をそっと置いた。 手のひらから手首にかけての静脈を指でなぞる。 「いつでも教えてあげましょう」 掴まれた手首が熱い。肉を溶かされて静脈だけを取り出されるような錯覚。 「これ見てみますか?」 クスクス笑い、顕微鏡を指す。 このまま顔を見られるのも嫌なので覗く。 「これ、確か前にも……」 「おや、覚えていましたか。ええ、塩です」 「綺麗」 「ちょっと知り合いに頼まれて。 瀬戸内海沿いの、赤穂という街を知ってる?」 首を振る。 「赤穂浪士、だよ。塩で有名だ。一説には塩の売買でのトラブルも松の廊下事件の一因と言われてる。そこの塩をベースにブレンドしてる」 試験管が並んでいる。 「味が違うんですか」 「さあ。殆ど変わらないけれど。 味を感じるのは、脳だから。」 首を傾げる私に、ふっと笑みを浮かべ、 手元の紙をめくる。 「これは、OLさんの胸の谷間の汗。こっちは高校球児が試合に負けた時の涙と汗」 「嘘ですよね?」 「私も直接採取してないから、なんとも言えませんね」
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