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誤解してもらっては嫌だけど、僕は人と話すのが好きだ。仲間とわいわい楽しく、人との付き合いの幅を広げて自分の交友関係を深めたい。けれど、付き合う人は選びたい。見栄っ張りな上層階級の人たちの中に混ざりたくない。そりゃ、僕も見栄っ張りさ。けど、違うんだな。あのアパートはきれいで使い勝手は良かったし、あの部屋だから免れたこともあった。住み続けて損することは多分、何もない。それに……父が選んで僕に譲ってくれた地所だ。けど、僕はあそこを出た。――おいで。君に見せたいものがある」
よっこいしょ、と左手で茶舞台を押して幸宏は立ち上がる。手を貸そうとする彼女に「大丈夫」と手で制して、言った。
「隣の部屋は、見たかい?」
「いいえ。家捜しみたいなことはしたくなかったから、閉まってるお部屋は掃除しなかったわ。」
「そう」
彼は彼の背後にある部屋の障子を開けた。
雨戸で閉ざされた室内は昼なお暗い。その中、浮かぶものに幸子は息を飲む。
それはおびただしい本の山だった。
積み上げられたまま壁に沿って並ぶのは真新しい本棚だ。
「まだ整理してないんだ。でもこのまま積ん読するつもりはない。きちんとしまって片付けるよ。今はできないから、怪我が治ったら追々ね」
「これ、全部あなたのなの?」
「違う。僕のは半分あるかないか。大半は友人たちがのこした本だ」
天井のランプを灯すと黄色い光が室内を満たす。その真ん中に積み上げられたままの本を一冊一冊指差して言った。
「これは、高等学校の頃からの友達の本。これは見ず知らずの人の本。これは……食堂で何度か話したことがある人のだ。皆の顔と名前、全部覚えてる。皆に武運長久の寄せ書きを書いた。出征も見送った。彼らは皆、僕にこれを預けて出て行って――取りに来ていない」
「招集されたのね」
「そう。空襲にあってもこいつらは残った。アパートがある地区も燃えたのに、あの建物の一角は焼け残った。だから、皆、ここに揃ってる」
「本を大切に保管したくて、住まいを替えた」
「うん。きちんとした書斎も欲しかったし。アパートは手狭だった」
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