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幸子は変わらずうつむいたままだ。
「本当は、もっと早く来たかったの。ううん、何度も、ずっと前から、お家の前まで来たの。でも、戸を叩く勇気がなくて……」
「何故……」
「……ごめんなさい」
言葉が、ぶるぶると震える。
つま先まで震えて立つ幸子は言った。
「あの日、逃げずに武君が帰ってくるまで待ってればよかった。家を飛び出してから何度も後悔したの、あなたが傷付くとわかってたのに……帰らなければよかったって。謝りたくて何度も来たのに……。窓の向こうに姿が見えていたのにそのまま帰っていたの。あなたに会うのが今日までかかってしまった……ごめんなさい」
「僕なら大丈夫」
自分の声がとても静かで落ち着いていて、そのことに幸宏自身面食らう。
でも、不思議だ、自ら発する声で沈静化していく心、そこから出る言葉に嘘はない。
「元気だった?」
彼女は首を横に振った。
「少し……痩せた?」
「武君、私……」
「うれしいよ。君が来てくれて、こんなにうれしいことはない」
怪我していない方の手を伸ばし、彼女の前髪に触れ、指先は彼女の顔の線を辿る。
されるがまま、撫でられる手にその手を添え、頬をすり寄せる彼女の仕草に、切なさと愛しさが込められていないのなら、僕は本当に人を信じられなくなる。
でも、嘘じゃない、ここに幸子がいる。
「会いたかったんだ」
「武君……」
「ありがとう、来てくれて……」
君が誰でも、他の男のものでもかまわない。
僕は君に恋する、君を愛する。
嗚咽が彼の名を呼ぶ、ゆきひろ、と。
許されるなら、今すぐ君を抱きしめたい。
けれど、今の自分ではそれもままならない。そのかわりに、幸宏は彼女の手を取り、その甲に口付けした。
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