【9】半分の嘘と幸宏の真実

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幸子は変わらずうつむいたままだ。 「本当は、もっと早く来たかったの。ううん、何度も、ずっと前から、お家の前まで来たの。でも、戸を叩く勇気がなくて……」 「何故……」 「……ごめんなさい」 言葉が、ぶるぶると震える。 つま先まで震えて立つ幸子は言った。 「あの日、逃げずに武君が帰ってくるまで待ってればよかった。家を飛び出してから何度も後悔したの、あなたが傷付くとわかってたのに……帰らなければよかったって。謝りたくて何度も来たのに……。窓の向こうに姿が見えていたのにそのまま帰っていたの。あなたに会うのが今日までかかってしまった……ごめんなさい」 「僕なら大丈夫」 自分の声がとても静かで落ち着いていて、そのことに幸宏自身面食らう。 でも、不思議だ、自ら発する声で沈静化していく心、そこから出る言葉に嘘はない。 「元気だった?」 彼女は首を横に振った。 「少し……痩せた?」 「武君、私……」 「うれしいよ。君が来てくれて、こんなにうれしいことはない」 怪我していない方の手を伸ばし、彼女の前髪に触れ、指先は彼女の顔の線を辿る。 されるがまま、撫でられる手にその手を添え、頬をすり寄せる彼女の仕草に、切なさと愛しさが込められていないのなら、僕は本当に人を信じられなくなる。 でも、嘘じゃない、ここに幸子がいる。 「会いたかったんだ」 「武君……」 「ありがとう、来てくれて……」 君が誰でも、他の男のものでもかまわない。 僕は君に恋する、君を愛する。 嗚咽が彼の名を呼ぶ、ゆきひろ、と。 許されるなら、今すぐ君を抱きしめたい。 けれど、今の自分ではそれもままならない。そのかわりに、幸宏は彼女の手を取り、その甲に口付けした。
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