1970年・秋 2

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 今日も帰れるかわからない、と言うと、妻は「そう」と答えた。 「相当悪くていらっしゃるのね」と言ったきり、黙った。  家庭を守り、子を産み育ててくれた妻には感謝している。人から何を言われているか、良く分かっている。  それを感受性乏しく受け流す妻は、鈍くない。  拒むでもなく、受け入れるでもなく、淡々と日々を過ごせ、伴侶として、穏やかな家庭を営むには不足のない女。  その妻を、私は存分に傷付けた。  子供は可愛い。政も慎一郎も。  先頃、まだ学生なのに、息子の政にしてはよく見つけて来たと言いたいしっかり者の女性と結婚した。若さに似合わず、芯の強い女性だ。彼女なら妻とも折り合いをつけてくれることだろう。しかし、あの無骨者の政が、家庭を持つと宣言した時は、自分も妻も大層驚いた。  まだ学生なのに。  まだまだ『子供』と思っていたのに。  私も歳を取るはずだ。見かけだけ。だが。  愛する者も、守らなければならない者も満足に支えられていないのではないかとぐずぐずと悩む。  十年以上も悩んでいる。  自分と茉莉花と妻。我ら三人が作る危うい三角形。どちらかを、誰かを嫌うことができれば楽だった。少し前の自分には――できなかった。  もうじき、決着はつく。  愛する者を失うという、最悪の形で。  慎一郎には明日が来るようなことを言っておいて、未来は決まっているのに蓋をしてしまっている。  奇跡は起こらない。  けれど、夢想してしまうのだ、明日の朝、目覚めたら茉莉花がベッドから飛び起き、踊るような足取りで自分の元へ歩み寄る姿を。 本当に、もう、だめなのか?
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