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2週間後の妊娠検査薬は陽性を告げた。その赤い2本の赤いラインに私は身震いした。この子をひとりで育てる、そう覚悟を決めて。私はそれを知らせることなく、彼に別れを告げた。
課長にも会社の皆にも内緒にしていた。人工中絶が不可能になる7か月まで秘密にしておこうと思った。ところがバレてしまった。悪阻の酷さに私が突然トイレに駆け込んだり、今まで好きだったコーヒーにむせたりと、皆が私の異常な行動を不審に思い、妊娠の二文字に気付いた。私が妊娠したという噂は瞬く間に会社内に広まった。彼の耳にもその噂話が届くのもそう時間は掛からなかった。
そうして会社にやって来たのは奥さんだった。昼下がりのカフェで、堕ろして欲しい、そう言って封筒をテーブルに差し出した。主人に頼まれた、中には100万円入っている、と。もちろん私は封筒を突き返した。こんなものいらない、ひとりで産んでひとりで育てる、迷惑はかけない、と。奥さんはそれを聞くと土下座した。店内にいた皆が私たちを見た。奥さんは臆することなく煉瓦調の床に額をつけて泣きながら私に懇願した。堕ろしてください、お願いします、と泣きわめいた。私の答えはノーだ、テーブルに置かれた封筒を奥さんの頭に投げつけてカフェを出た。鞄に忍ばせたモノクロの写真を取り出して見つめる。絶対にこの子を産む、産んで彼との家族を作るのだ。彼はいなくてもこの子がいればそれでいい。こんなささやかな夢を現金で壊そうとする奥さんに腹がたった。
*-*
ところが。その1週間後のことだった。仕事を終えて会社を出ると実家の両親が待ち構えていた。二人とも血相を変えて、私を近くの料亭へと連行した。そこには彼と彼の奥さんもいた。不意討ちだった。両親は泣き崩れ、そんな二人を見た彼はずっとテーブルを見つめていて無言だった。私は不甲斐ない彼の態度にも落胆したし、両親を巻き込んだ奥さんのずる賢さにも腹が立った。両親と奥さんは私に堕ろすよう説得をする、私は産むと言い張った。認知しなくていい、養育費もいらない。でも肝心の彼は無言のままで何も意見を言わなかった。そして母は言った、こんな男の子供でも産んで育てたいというの里香、こんな修羅場であんたを守れない、いや、守ろうとしない男の子供をプライドを持って育てられる筈もないでしょう、と。彼を見やると彼は頭を下げた。済まない里香、堕ろしてくれないか、と呟くように言った。
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