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下田と一夜を過ごしてからというもの、アイツのことが否応なしに目に入ってしまっていた。
ラブホで宣言してくれた通り、仕事を難なくこなしてくれるようになった。それが無条件に嬉しくて、自分の抱えていた仕事を少しずつ回していた。
そんな自分の気持ちにに戸惑いつつもこの微妙な距離感を何とかしたくて、つい下田を構ってしまうことを自覚し、慌てふためいて赤面してしまう場面も何度かある。
いかん――
俯きながら首を横に振っていたら、ぽんと肩を叩かれた。振り向くと、柔らかく微笑んだ下田が声をかけてきた。
「そろそろ取引先に行かなきゃならないっすよね。お時間、大丈夫ですか?」
「もうそんな時間だったか、済まないな」
腕時計を確認しながら教えてくれた下田の優しさに、コッソリほくそ笑む。
デスク周りにある書類を片付け、よっこらしょっと立ち上がって、愛用してるカバンを手にした。
「僕も途中までご一緒していいですか? 江藤に書類を頼まれてしまって」
「そうか。好きにするといい」
なんて口では言ったが、心が弾んで仕方がない。
職場ではなかなかプライベートな話が出来ないが、一歩外に出てしまえば気兼ねなく話をすることが出来る。
ふたり並んで部署を出て、あと少しで会社から出ようとしたときだった。
「バッチリなタイミング! かげっ」
見知らぬ会社の制服を着た女子社員が、ゆっくりと開く自動ドアを両手で押し開くように入ってきて、下田の左腕をぎゅっと掴んだ。
――まるで、捕まえたといわんばかりに。
そんな彼女を見てから私の顔を窺うように見下ろす下田の顔には、しまったと書いてあるのがハッキリと見てとれた。
下田の名前を呼ぶところをみると、親しい間柄なのだろう。
「連絡しても捕まらないんだもん。会社の近くをたまたま通ったから、受付で呼びつけてやろうと思ってたんだ」
「受付で呼び出しって、おまっ……何、考えてんだよ」
「だってぇ大事な話だったし。かげの赤ちゃんがデキちゃった」
ばしっ!
「いった~……。なぁに、このオッサン?」
気がついたら、下田の腕を掴んでいた彼女の手を思い切り叩き落してしまった。
「こら、オッサンじゃないって。僕の上司なんだから」
(そう、私はただの上司――)
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