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「え?」
「自分の心に余裕が無ければ、あんな言葉は出てこなかった。深津さんに対しても、香川さんに対しても。あいにく俺は仏の心ほど寛大じゃない」
自分の心に余裕が無ければ……先生とこうして心が通じ合えていなければ、私も深津さんを罵っていたのかも知れない。
香川さんに対しても、許す事など出来ず怒りと憎しみで心が掻き乱されていたかも知れない。
「人に優しくなるって、難しいね」
「ん?」
「自分の心が満たされていないと、人の幸せを願う余裕なんて無いもん。体は大人になっても、心まで大人になるって本当に難しい」
フロントガラス越しに浮かぶ上弦の月を眺め、呟くように静かな声を落とす。
「ああ、そうだな。…それに、もし麻弥が深津さんに抱かれていたら、俺の態度も違っただろうし」
「……どういう事?」
「もし、彼がおまえの体に触れていたら、あの話を聞いて許せる訳がない。容赦なくなぶり殺しにしてやるところだ」
信号が青に変わるのを見た彼は、ハンドルを握り直して視線を前方に戻す。
「なぶり殺し!?」
当然のようにサラリと言った彼の横顔をまじまじと見て、思わず息を止める。
「お手軽なところでカリウム過剰投与して、心停止が起きない程度で心不全に陥れるか……それとも降圧剤で意識を朦朧とさせて……」
「うわーっ!止めて止めて!」
それのどこがお手軽なんだ!?
そんな涼しい顔して言われると、マジで怖いんですけどーっ!
「冗談だよ。で?結局は何も無かったんだろ?」
「えっ!?」―――本当に何も無かったかと聞かれてしまうと……「何も」無かったとは言い切れない情事がある。
「も、勿論!何も無かったよ」―――今になって言える訳がない!もう、絶対に言えない!
「……今、怪しい間が空いただろ」
「間なんて空いてないよ~。何言ってんの?」
「……怪しいな」
「どこも怪しくないってば」
マズイ……
怖くて先生の顔が見られない!
内心ビビりながらも、澄ました顔して車窓に目を置く私。
「……よし。帰ったら体に聞いてやる。今夜も朝までコースな」
「ええっ!?」
「そんなに喜ぶなよ。スケベ」
一驚した私の顔など見ずに、先生は街の明かりに目を向けたままニヤリと笑う。
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