1970年・秋 4

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 病室へ向かう慎一郎を手招きした主治医は言った。  病気は間違いなく癌だ。  君のお母さんは助からない。  もう手の施しようがない。  気をしっかり持って。  そしてこうも言った。  決して、お母さんに病気のことは言ってはいけないよ、癌は本人に伝えてはいけない病気だからね、と。  あと少し、せめて病室へ寄った帰りにいってくれれば良かったのに。  この後、病人に会うんだ、どんな顔して入ればいい?  手洗いに直行して、洋式便座に腰掛け、とめどなく流れ出る涙と格闘した慎一郎は、洗えば落とせる涙より、赤く腫れた目をどうしたものか、鏡を見て弱り切った。 「どうしたの?」  開口一番、息子の顔を見て大声を上げた母に、点滴を掛けておくスタンドで頭をぶつけてすごく痛かったので、と苦し紛れの言い訳をした。口だけでは母をごまかせないから、バカ正直に本当にスタンドに頭を打ち付けて。たんこぶもどきを作った。 「そそっかしいのね」  呆れた口調で返す母に、嘘やごまかしが通じるとは思わないけれど、自分にできるせいいっぱいの芝居だった。  ――父さんに早く連絡しなければ。  でも、どうすれば良いんだろう。  父さんは今、海外出張中なんだ。  父さんが心配するから言うな、もうじき帰ってくるのだし、と母は繰り返すばかり。いずれわかることなのだから、わざわざ言う必要があるの? と。どこに泊まっているかも教えてくれない。  何だかんだ言ったところで、高校生はまだ子供だと実感した慎一郎は、都に土をかけながら、ぼろぼろと、今日二度目の涙と鼻水を垂らしていた。
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