第1章

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「ここが録音室だよ」 「広いんですね」 「狭いと気持良く演奏できないでしょ」 「スタインウェイ・・・」 アキはまだ新しそうなピアノを眺めた。メーカーはアキの自前ピアノと同じだが、馴染みのある店のアンティークピアノと比べたら、年代が孫の代くらい違うだろう。きっと弾力のある若々しい音を聴かせてくれるはずだ。 「弾いていいですよ。あ、そうそう今度の楽譜も見たいでしょう。持ってきたから指慣らしに弾いてみたら」 是枝が鞄の中から数曲分の楽譜を取り出した。 目を通してみると弾いたことはないが聴いたことのある歌謡曲ばかりであった。どれも男と女のしがらみを歌ったヒットナンバー。 「あの。本当にこの曲とクラッシックを同じCDに? 」 「あぁそっちは全部ってワケじゃなくて、いいのがあったらおまけで入れようかって話だから」 「はぁ・・・」 「じゃあ僕はとなりの部屋で待機してるから、好きなだけ弾いてみて」 「・・・はい」 アキは軽く指のストレッチを始めた。 椅子に座りいつもと違う鍵盤の感触に慣れるため指慣らしを繰り返す。 指が温まってきたころ、アキは一曲の楽譜を選んで一通り見た。 そしてそれを譜面台の上に置くと、開くことなく弾き始めた。 『他人の関係』 昔のヒット曲だが最近ドラマの主題化として使われまたブレイクした。 印象的な伴奏、独特なテンポをアキは上手く弾きこなしていた。とても初見とは思えない迫力、魅力、色気。 そして二番に入るところで転調した。テンポもアップし曲を盛り上げる。そしてまるで名曲ボレロのラストのように引き上げてゆく。 すると三番はいらないとばかりにキレイに切り捨ててしまった。 是枝の顔を見ると、こんな演奏者は見たことがないと言っているような感じだった。 (ちゃんと弾いた方がよかったかな。でも指慣らしって言ってたし) 「アキ君。今の曲、メロディなしでも普通に三番まで弾けたりするかな」 「あ・・・はい」 スピーカーから是枝の声がして指示を受けた。 (見学に来た・・・だけなのに) とりあえず。弾いてみる。言われた通り三番まで。 伴奏を三番まで単調に弾きつづけるのは辛い。 伴奏はあくまで脇役。ピアノに歌わせるようには作られていないのだから。 その後も数曲遊びながらアキはピアノを弾いた。普段弾きなれないメロディが楽しかった。 そしてハッと我に返り壁にある時計を見る。
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