第1章

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あまり体温が上がらないようにと、互いを握り合って果てた。あまりやったことのない行為なので二人とも逆に興奮したらしい。あっという間だった。 「アキ。シャワーを」 「うん」 「出勤時間も迫ってるけど、消毒、忘れないで」 「わかってる」 「あれ。アキピアスしてたっけ。あ、あれは初心者ピアスだな~。何マスター。お手つきの印? 」 常連客の冷やかしに正司はニコリと微笑む。なんの言葉も必要なかった。 同じような冷やかしを一晩に数回受けた。その度に微笑みを返し、いなした。ピアニストがピアスを開けただけでこの騒ぎだ。薬指に指輪でもしたらどんな騒ぎになることやら。 「俺、髪伸ばそうかな」 「どのくらい? 」 「ピアスが隠れるくらい・・・」 「良いかもしれないけど。そのころはもうみんな見慣れてるよ」 「うん。でもいつまでも同じピアスしてるのおかしいでしょ? だから、隠す」 「アキ・・・」 本当にこの穴を開けるためだけのピアスを一生使い続けるつもりでいるのだろうか。 アキ専用のシェリーグラスのペリエの泡が次々と上っていく。アンティークらしくちょっとあせたピンクのグラスはミッドナイトブルーのタキシードにぴったりの色合いだった。 アキは美味しそうにペリエを飲み干すと、ごちそうさま。と正司に声をかけて階段を下りていった。 しばらくして誰かのリクエストなのかOver The Rainbowが奏でられた。 その曲を聴きながら正司は思う。アキはこの曲の主人公のようだと。夢見るお姫様で空も飛べないはずはないと思っている。 「少し、甘やかし過ぎたかな」 小声で呟いてみる。 彼のピアノのセンスと技術と才能は素晴らしいものだと思う。その天才肌的なところなのか、ときどき幼稚な行動をとることがある。 今回のピアスがいい例だ。 一人っきりの時間にやると決めたならやってしまえばいい。 失敗して助けを求めたならそれでいい。 なぜ抜こうとする。全てが台無しになってしまうのに。 歳の割りに天真爛漫な恋人は、やはりアーティストだから仕方がないのだろうか。 「なんて」 正司は生ビールをつぎながら、もうひとつジョッキを用意する。 「そうさせたのは僕だけどね」 生ふたつ。キレイに仕上げてテーブル席へと運ぶ。
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