1970年・秋 5

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「君、どうしたの」  学内でも一,二を争う洒落ものとして有名な武の目には、大学には場違いな制服を着た男子学生だから呼び止めたのではない。  は、と振り返る顔はわずかに武を見下ろしている。  うん、間違いない。  この顔と長身は。 「君、慎一郎君だろう」  誰だろう、この人、と警戒心を露わにする少年の態度は嫌ではない。  にかっと笑って、武は続けた。 「よくお父さんとここに来てたでしょう。まだこーんな小さい頃から。ちょーちょ先生なんて呼んでたのに。忘れちゃった?」  言いながら自分の首元を指した。  蝶ネクタイにまるで花を差したように色を合わせたポケットチーフが板に付いている。  ちょう……と言いかけて、あ、と少年は声を上げた。 「思い出した?」 「はい……」  少年は、ぺこりと頭を下げた。 「ホント、大きくなったねえ。慎先生にそっくりだね。今日はどうしたの」  目の前の少年は、計りかねて立ちつくす。  語りたい言葉を持つ子供たちは態度でわかる。長年生徒に接している者の勘というやつだ。  教え子なら、導きもし、突き放しもする。  けれど、彼は年齢より老成しているようなのに、無防備なひよこのようだ。  尾上家の事情は、良く知っている。  息子がふたり、母はそれぞれ違う。  この子はまだ自ら名乗らない。  姓が違うから、口にするのをためらう程度の知恵はあるのだ。だから、自分もあえて尾上の姓は使わなかった。  子供に、こんな気を使わせて。  大人は情けないねえ。  武の心におせっかい心が起こる。
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