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忘れようと努めても、何度も過ごした一夜を思い出して身体を熱くしてしまうのだ。
一度知ったら、もう以前の私には戻れない飢えを知ってしまった。
少女の頃のように、慕う恋心と両立する女の自分を満たしてほしいと願う欲望。
私は彼が欲しかったのか、と――自分に問い掛ける。答えは『言わずもがな』だ。
何て浅ましい。
でも、彼の腕の中は甘美で、愛しくて自分で自分の身体を抱きしめるのだ、あの人に愛されたのだ、と。
女として望まれるのは、やはりうれしい。でも、幸せなのか。
手で顔を覆い、嘆く彼女の背後から、起き抜けの、掠れた声が彼女を呼んだ、「茉莉花」と。
好きな男に名を呼ばれて、嬉しくないはずがない。呼ばれれば振り返ってしまう、差し出された手を、当たり前のように受けて、腕の中に包まれてしまう。
禁じられたことは蜜の味。だから抗えないのか。正しいことをしているから、拒む理由がないのか――。
自分の心がわからない。わかっているのは、この手を押しのける力が私にはないことだけ。
彼女の心中の逡巡を受け止めて、慎はただ茉莉花を抱き、名を口にした。
「やっと、君に辿り着けた」
髪に顔を埋めて言う声に、痛みより悦びを感じる心を止められない。
私も、と口に出す代わりに彼女も何度も口づけをした。
ふたりで部屋を後にした別れ際に、彼は言った。
「絶対に離さない」と。
「君を連れて行く」と。
咄嗟に返答ができない彼女に、慎は「何も言わなくていい」と肩を抱いた。
――意味をわかって言っているの?
彼の肩に頬を埋めて、茉莉花は思う。
多分、そうだわ。
もう、わからない。
はっきりしていることは、一線を越えた先にあるのは懊悩だけ。
「君を離さない」と言った慎のひとことが頭の中をぐるぐる回る。
彼は思いつきで言ってはいない、本気だ。
形にされる前に何とかしなくては。
幸い、私は日本にいる時間が減る。
彼も東京から地方へ転勤するという。
物理的に距離を置ける。
冷静になって、目を覚まさなくては、彼も、私も。
愛しているから。
なおさら、彼の立場を悪くするようなことはしたくない。
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