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受話器を握りしめて、奥歯を噛みしめ、それでも足りなくて下唇を思い切り噛んだ。
そうしないと、叫び出しそうだったから。
“もしもし、ゆい?聞こえている…”
辰巳くんはまだ話していたけれど、無言で電話を切った。その場にしゃがみ込み、目の前にきた電話線のプラグも抜いた。
「あああっ!」
耐えられなくて、うなり声が出た。
決定だ。
「うわぁぁぁっ!!」
声に驚いて実日子と香織が廊下に出て来た。
これで、決定だ。
この電話で、間違いようもない…悪かったのは、私。
浮気相手を妊娠させて離婚した背徳の夫と裏切られた可哀想な妻じゃなかった…!被害者面して加害者だったのは、私!
「ゆい、ゆい、どうした、落ち着いて」
待っていた。
ずっと、ずっと、待っていた…この家を見た瞬間、此処に宝木くんが来るのを待っていた。
辰巳くんと暮らしている間、庭にピクニックシートを敷いてお花見をしながら、縁側に小さなお供えとすすきをあつらえてお月見をしながら、辰巳くんと笑いながらも!私は此処で宝木くんを待っていた。
いきなりしゃがみ込んで泣きわめく私に驚きながらも、実日子は私を抱きしめて、一緒に泣いてくれた。
「大丈夫、大丈夫ですよ、ゆいさん…」
一歩引いた声で、香織が声を掛けてくれる。
神さま…助けてください。
頭に浮かぶのは、ルノワールの画の中の鮮やかな緑と光。
私は、辰巳くんにひどい事をした。
宝木くんの事を待ちながら、彼と暮らした。
自覚はなかった!
モンマルトルで、自分の宝木くんへの気持ちは封印したつもりだった…パリから戻って、すぐ四年生になって、私と宝木くんは別の研究室に入ったから、二人きりになる事は二度となかった…お互いに避けていた。
だから、卒業する頃には、宝木くんへの想いも忘れていた、そう想っていた。目の前の辰巳くんだけを見て、そうして生きてきた。
自分でも、そう信じていた。
なのに、辰巳くんは私の心の宝木くんを察知して、そして、彼女さんの元へと行ったんだ。それでも、多分、辰巳くんは今でも悪かったのは自分だと思っている。
でも、気づいてしまった。
私が、今さら、遅すぎるのに、気づいてしまった。ああ、本当に、天然だ、私は。
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