第1章

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 まったくもってその通りだ。珍しい光景に気を取られている場合ではない。秀也にならうように裕太もその隣に座り込み、夏の生活とドリルを草の上に広げる。それをみて太陽もいそいそとカバンを開けようとしたが、その前に運動神経が鈍いはずの秀也が光の早さで太陽の手をつかんだ。  「太陽、お前はまずその中に大量にはいってるおぞましい生物を林に捨ててこい」  「なんでだよ。こんだけ集めんの苦労したんだぜ?」  太陽の顔は不満げだ。カバンを食い入るように見つめる秀也の青い顔には気が付かないらしい。  「別にセミがいたっていいだろー。邪魔してくる訳じゃねーしよー」  さらに言いつのる。その拍子にカバンがゆれ、ジジっと抗議するような鳴き声がした。秀也の顔は青いを通り越して白くなり、眉間に一本、また一本としわが刻まれていく。それを見た裕太は慌てた。  ここで機嫌を損ねられてはたまらない。秀也しだいで今夜布団で寝られるかどうかが決まるのだ。  「セミならまた捕まえればいい。放してきなよ」  太陽の不満げな顔は変わらなかったが、さすがに二対一では分が悪いと思ったらしい。名残り惜しげにのろのろと林にセミを放した。ときおり大きな鳴き声をあげるセミたちに秀也の肩が跳ね上がるのを横目で見つつ、裕太は筆記用具を取り出した。  宿題はこの上なく順調に進んだ。たどり着くまでの道のりはお世辞にも快適とはいえなかったが、静かで涼しい空間は集中しやすい。太陽のうなり声以外は虫の鳴き声すらせず、ときおり吹く風が桃色の葉ゆらす音がするだけだ。そのおかげで二、三時間後には裕太も太陽もノルマのほとんどをクリアしていた。  「ぐあー。耳から煙が出そうだー」  最後のページをようやく終わらせた太陽は大きく伸びをしてそのまま草の上に仰向けになる。高かった陽は傾きはじめ、西の空が赤くなってきていた。  「ああ、思い出した」  途中から本を読み、片手間に勉強を教えていた秀也がふっと頭上を見た。  「思い出した? 何を」  裕太が尋ねると秀也はおもむろに立ち上がり、目の前まで垂れ下がってきていた桃色の葉を一枚引きちぎる。ぶつっという音がして周囲の葉がその勢いで大きく揺れた。  「なんかどっかでみたことあるような大きさと形だと思ったんだ。色は違うが、形だけならタラヨウの葉にそっくりだな」
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