第1章

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 白いワンピースを身にまとった加地小百合はくすくすと笑みをこぼしながら「うん、おはよう」と返した。長い髪が笑い声にあわせてゆれる。  しばらく見ることがなかったからか、優しい笑顔の破壊力は計り知れない。一度跳ねた心臓はなかなか落ち着いてくれず、それどころかただでさえ熱かった身体が更に熱くなる。赤面した顔を見られるのがいたたまれなくて、裕太は机へ顔を落とした。  担任が教室を回ってひとりひとりの宿題の進行状況をチェックする。目の端で太陽が真っ白なノートとドリルを誇らしげに見せて呆れられているのが見えた。秀也はまわりが少しでも宿題を進めようとする中でただひとり、机の端にノートとドリルを寄せて小難しそうな本を熱心に読んでいる。きっと宿題なんて七月中に全部終わらせているのだろう。羨ましい。  なんと言ったら白紙の多いこのページを担任に見せずに済むだろうかと、どうしようもないことを考えながらちらりと横を見る。加地はドリルの上で鉛筆をひたすら動かしていた。といっても残っているのはあと数ページのようで、運が良ければ担任が回ってくるより先に終わってしまいそうだ。無意識に裕太がこぼしたため息に気づいたのか、ぴたり加地は手を止めると、いたずらっぽく笑って小さくウインクをした。  収まったばかりの心臓が再び大きく跳ねる。慌てて自分もドリルを開いたが、落ち着かない心臓がひたすら鼓動するだけで一ページも進まなかった。  相変わらずセミが鳴きたて、アスファルトから蜃気楼が立ち昇るほどの猛暑が続く。  出校日からしばらくが過ぎ、夏休みも終盤にさしかかるころ。深刻な問題が発生した。正しく言えば夏休みが始まる前から発生していたが、その危険度は今と比べ物にならない。裕太は自身のベッド上で頭を抱えていた。  宿題。『夏の生活』と題されたそれは、夏休みを妨害する最大の敵だ。太陽ほどではないが、自分のページも半分以上は白紙のままである。  これは、やばい。やばいとは思うが、やる気がおきない。涼しいクーラーの風がそよそよとあたると、その心地よさにだんだんと瞼が下がってくる。手にしていた『夏の生活』を机へ放り投げてぼふりとベッドへ横になると、とろんとしたまどろみに包まれた。  ――ああ、最高に幸せ……。
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