第1章

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 忍びよる穏やかな暗闇に身を任せようとしたとき、ノックの音がそれをさえぎった。無視してそのまま寝てしまおうと、薄い夏布団を頭までかぶる。だがその音は夏布団で遮ることができるほどおとなしいものではなかった。収まるどころか音量と衝撃を増していき、ノックの域を通り越してドアを殴りつけているようだ。壁からの振動でベッドが軽くゆれる。ここまでくるともう無視できるものではない。気だるい身体を引きずってドアを開けると、突然容赦ない鉄拳が降りおろされた。避ける事もできずにまともにくらう。目の前に火花が散った。  まどろんでいた頭は痛みで完全に覚醒した。そろそろと視線をあげると、そこにはにっこりと笑う母がいた。  「裕太、今何時だと思う?」  その声色は優しいが、どこか迫りくる恐ろしさがある。ベッド上に置かれた無駄に大きな目覚まし時計に目を向けと、その針は正午近くを指していた。  息子の反論を待たず、母は壮絶な笑顔のまま部屋へ足を踏み入れ、迷うことなくもっぱら勉強に使われる機会のない勉強机へ向かう。マンガの山やスナック菓子の袋、その片隅に所在なさげにぽつんとある『夏の生活』をパラパラとめくった。  判決を待つ犯罪者はこんな気持ちなのだろうか。母がそれを見ていたのは時間にすれば数秒のことだったが、その時間が恐ろしく長く感じた。  最後のページを閉じた彼女が『夏の生活』を持ったまま振り返る。先ほどまで浮かべていた笑顔はなく、今は全くの無表情だ。思わず数歩後ずさったが、背中はすぐに後ろの壁へぶつかった。  「家の手伝いはしない。いつまでたっても起きてこない。部屋は片づけない。あげくの果てに勉強するどころか最低限の宿題すらしない」  持っている『夏の生活』を何度も手のひらに叩きつける。  「そんな子はうちにいても仕方ありません」  おもむろにいつも使っている肩掛けのスポーツバッグに筆箱やらドリルやらを詰め込まれる。あまりの勢いに二の句も告げられずにいると、パジャマの首根っこを捕まれて部屋からバッグと一緒に放り出された。  「……えっと、母さん?」  全開になっている扉からおそるおそる顔をのぞかせた。母は問いかけには答えず、クローゼットから着替え一式を取り出してそれを息子へ投げつけた。頭上から降ってきたTシャツと短パンに視界がふさがれる。
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