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「せめてその白いページを半分以下にするまで帰ってこなくてよろしい」
それだけいうと母は背を向け、一度も振り返らずに階下へ降りていった。どうやら休み中続いていた息子の不規則な生活に堪忍袋の尾が切れたらしい。流石にそれを無視して部屋で寝こける勇気は裕太にはなかった。そんなことをすれば今度は二度と帰ってくるなと言われかねない。
裕太は息をつき、自分の頭に引っかかった衣服にのろのろと着替えはじめた。
宿題と筆記用具のつまった鞄はずっしりと重い。母は簡単に言ってくれたが、そもそも終わらせられるものなら残していない。面倒で放っておいたものもあるが、七割は自力では解くことのできない問題だ。……それもどうかとは思うけど。
心のなかで文句を言いつつも足は止めない。夏の坂道は辛いが宿題のためだ、文句を言ってはいられない。歳をとればこの坂道は今よりずっと苦労するだろうと見当違いなことを考えたが、大きなガレージに停まっている二台のBMWを見て思い直した。平然と『引っ越せばいい』と言われそうだ。
友人である秀也の家は、かつては山だったという坂の多い高級住宅街にある。父親が国会議員として働いている彼の家は、噂によるとホテルかと見まごうほどの一戸建てだという。それだけの家ならだいたいの場所を知っていれば分かるだろうと高をくくっていたが、どうやら楽観的すぎたようだ。小さな噴水がみえる家。滝のような水音が聞こえる家。それと思われるような家が果てしなく続いているのに、表札が違う。裕太は一つため息をついて、塀にもたれかかった。
「あっつ……」
じっとりとした空気がまとわりつく。ここは素直に頭を下げて家に帰るべきだろうか。……だめだ、許してもらえそうにない。というか、秀也に頼ろうとしたことで更に怒られそうだ。
わずかな涼を得ることができた影を惜しみつつ壁から背をはなす。もしかすると通り過ぎたのかもしれないと不安になりはじめたとき、大きな門にかかる表札に気づいた。黒光りする石に彫られた『Oshima』の文字。外からも見ることができる庭には手入れされた薔薇のアーチが続いている。
このメルヘンちっくな家にあの堅物が住んでいるかと思うと暑さが少し紛れた。とはいっても生活していてほとんど見ることのない大きな門には圧迫感すら感じる。やや緊張しながらインターホンを押した。
「どちらさまですか?」
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