第1章

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 スピーカーから柔らかい女性の声がした。何度か会ったことがある、秀也の母親だ。  「小西裕太です。突然すいません。えっと、秀也くんいますか?」  「あら小西君? ちょっと待っててね」  目の前の門が低いモーター音をならしだす。驚いて一歩下がると、触れてもいないのに門が滑るように開いた。  「どうぞ、遠慮せずに入って」  優しい声に促されて敷地内に入る。甘い香りのする薔薇のアーチを何本か通り抜けると、ようやく見えた扉の前にはなぜかすでに秀也がいた。  「どうしたんだよ。急に」  突然の訪問が気に障ったのか若干不機嫌そうだ。  「ごめん。母さんに追い出されちゃってさ」  頭をかきながら事情を説明する。すべて聞き終わると秀也に鼻で笑われた。  「それで、俺を頼りにきたと」  「突然来て悪かったとは思ってるよ。でもひとりじゃわかんないところ多くてさ」  ここで秀也に拒否されたら白紙のページを埋めることができなくなる。流石に夜になっても家に入れてもらえないことはないだろうが、母の機嫌がさらに悪くなることは確実である。それを考えるとなんとしても彼にはなんとしても教えてもらわなければならい。  「……やっぱりだめ?」  事前に連絡もせずに押し掛けたのだ。予定があってもおかしくはない。  秀也はしばらく考え込むそぶりを見せ、おもむろに眼鏡のフレームを指で押し上げた。  「いや、都合がよかった。ちょっと待ってろ」  秀也は背を向けて足早に扉の中に消える。しばらくするとカバンを肩に掛けて出てきた。後ろには彼の母が焦った様子でついてきている。  「宿題をやるなら家の中でやればいいじゃない。わざわざ外にいかなくても……」  「家の中よりも外の方が集中できるから。それに裕太だって気を使うだろうし」  秀也は振り向きもせずに早口で返す。幼さを残す少女のような彼の母親は眉尻を下げて困りきったような顔をしていた。  「おい裕太」  母の様子を気にかけることなく、秀也がカバンの中から汗をかいたペットボトルを投げてよこす。冷えたそれを何とかキャッチすると体勢を整える間もなく腕をつかまれ、引きずられるように門を出た。肩越しに振り返ると、困り顔で笑いながらこちらに手を振る彼の母の姿が見えた。
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