第1章

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 秀也は裕太の腕をつかんだまま下り坂を足早に歩く。声をかけようにも気を抜けばもつれそうな足にいつ転ぶかもわからない。歩くので精一杯だ。そうこうしているうちに高級住宅街を通り過ぎ、平坦な道に出た。そこでようやく秀也の足が止まり、腕も解放される。お互いに荒くなった息を吐きながら、裕太は少しぬるくなったボトルのキャップをあける。半分ほど一気に飲むとようやく落ち着いた。  「いつもあんな感じなの?」  息の整った自分とは対照的に秀也の呼吸はまだ荒い。彼は塀に背中を預けると、何度か大きく深呼吸をした。  「別に。どうでもいいだろ、そんなこと」  大きく息をつくと、彼は壁から背を引き離した。  「勉強教えてほしいんだろ。行くぞ」  目を合わせることなく秀也が再び歩き出す。裕太はあわててその背を追いかけた。  家を放り出されてしばらくふらふらしていた自分とは違い、秀也の足取りに迷いはない。どうやら目的地があるようだ。  「どこに行くつもり? 図書館ならあっちだよ」  何度か同じように泣きついて勉強を教えてもらったことがあったが、場所はいつも学校か図書館、もしくは裕太の家だった。  ページを埋めるまでは帰ってくるなといわれた自分の家と、夏休み中で閉まっている学校をのぞけば、残っているのは図書館しかない。  「お前よりも太陽の方が問題だろ。どうせあいつは何にも手をつけてないだろうから、やるなら一度に教えた方が効率的だ」  トタン屋根の古い木造建築物。歴史を感じさせるその家が太陽の自宅だ。  大きな引き戸は開け放たれ、三人の大柄な男たちのいる作業場がよく見える。彼らの手によってただの枝にしか見えないものがあっという間に様々な形に姿を変えていく。彼の家は江戸時代から続く老舗の『籠屋』だった。  ふたりが引き戸から顔をのぞかせると、太陽によく似た大柄の男と目があった。浅黒い熊のような大男は裕太たちに気づくと歯を見せて笑う。  「お! どーした久しぶりだな。元気だったか?!」  豪快な笑い声をあげながら、身体と同じ大きな手で頭をわさわさとかきまわされる。あまりの勢いに秀也の眼鏡は今にも外れてしまいそうだ。  「なんだ、遊びに来たのか? ん?」  秀也は迷惑そうにその手を払って眼鏡をかけなおし、鳥の巣のようになった髪の毛を直しながら答えた。
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