第1章

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 赤く塗られたふっくりとした口が言葉を紡ぐ。抜き身の刀を目の前にしているというのに、彼女はおびえるどころか、うっすらと艶やかな笑みを浮かべていた。  「い、いやこれは」  男が焦ったように口を開いたのを、彼女は小さな吐息一つで黙らせる。  「桜に刀は似合いせん。ここはわっちに免じて、鞘を納めてくれなんし」  柔らかい言葉でありながら、決して否定を許さないような強さを持つ不思議な声。男は何度もうなずき、刀を納めた。それを見た東雲がふっと男へ微笑みかける。  「おなごの頼みを聞いてくださる粋な方。機会があれば、この東雲が伊勢屋でお待ちしておりんす」  そういうと彼女はそばについていたやや地味な着物を着た女に耳打ちする。彼女は一瞬いぶかしそうな顔をしたが、それでも了解したというように一度うなずいた。  東雲は一度華へ意味ありげな視線を向けると、華の手から離れた簪を何も言わずに拾い上げ、自分が元いた場所へ戻った。そのさまを見つつも華は声を出すこともできない。そして蝶は再び足を大きく回し、一歩を踏み出す。  いまや場の空気は完璧に東雲のものだった。人という人が彼女のために道をあけ、その姿に陶酔したように息を吐く。そして彼女の姿が見えなくなるころには、華と男との刀傷沙汰などなかったかのように人々は散っていった。顔に乾いた血を張り付けた男は一度苦々しげに華をにらんだが、道へ唾を吐いて人混みへ消えていく。  緊張の糸が切れると、とたんに足が痛みで熱くなった。鼻の奥がつんとして、ぼろぼろと涙がこぼれる。華は嗚咽をこらえるように唇をかんだ。  冷たく光る刀身を思い出して身体が震える。もしあの場に彼女がこなければ胴と首が分かれていただろう。死を間近に感じる夢なんて、悪夢もいいところだ。何度も転び、地に伏したせいでパジャマは薄汚れている。助けてもらったのだから何も言えないが、簪も東雲という女(ひと)に持って行かれてしまった。あの門から出る方法も思いつかない。  まったく目が覚める予兆のない夢。怖いやら悲しいやら心細いやら。いろいろな気持ちがごちゃまぜになって、なぜ泣いているのかよくわからない。わからないからこそ止めようもなく、頬はひたすら塗れた筋を増やしていった。  「ちょいと、そこのひと」
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