13人が本棚に入れています
本棚に追加
それを考えると心臓が早鐘を打ち、大量の汗が頬をつう。なんとか逃げようと足をめちゃくちゃにばたつかせると、がっと鈍い音がした。その拍子に男の手がゆるみ、華の身体は肩から転げ落ちる。
受け身を取ることもできず、背中から地面へ落下して何度かむせた。
逃げなければと思うのに、立ち上がろうとしても足が言うことを聞かない。そのとき、目の前にぽとりと赤い液体が落ちた。おそるおそる視線をあげる。そこには鼻から大量の血を流す男がいた。
「てめえ、俺は侍だぞ……!」
男の手が空を切り、華の頬に勢いをつけて振りおろされた。乾いた音が闇に響く。あまりの力に身体が転がる。頬が燃えるように熱かった。
「もう勘弁ならねえ。お前みたいな女に金なんて払うか!」
男は鼻からちを垂らしたまま華の上に乗った。ずしりと重い体重が腰にかかる。そして熱く堅い何かを腹に押しつけられて吐きそうになった。
「っや!」
懸命にもがくが、腕一本の力で持ち上げられた女の力など、男にとっては大したこともないのだろう。獲物をいたぶる肉食獣のように余裕のある笑みを浮かべ、必死で抵抗する華の力をいなす。
このままでは、本当に犯される。
そう思ったとき、暴れていた華の手に何かが触れた。布ごしの丸く、つるりとした感触。
無我夢中だった。気づいたときには男は悲鳴を上げて華の横でうずくまり、片手で二の腕を押さえていた。そこからはどくどくと鼻血とは比較にならない量の血があふれている。
ふるえながらも今度は何とか立ち上がることができた。気をゆるませれば力が抜けそうになる足に喝を入れるようにおもいきり爪を立てる。鋭い痛みは筋を張らせ、逃げろという脳髄の命令に従って走りだす。
「てっめぇっ……!」
男の憎しみと痛みがこもった声が華の背を追いかけてくる。華は手中の簪を握りしめ、必死で走った。
早く、早く人のいるところへ。
ひたすらそう思って走っていると、先ほど通ったであろう大通りに出る。人ごみに紛れるようにしばらく道沿いに走っていると、大きな黒い鳥居のような物が見えた。はたと、その黒い鳥居を見て気づく。
そうだ、これは夢だ。とんでもない悪夢ではあるが、夢であるからには必ず覚める。なにかきっかけがあればこの夢か脱出できるはずだ。
最初のコメントを投稿しよう!