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「そろそろ出るか」
津川が食べ終わるのを待って、江越が席を立つ。
「お待たせしてすみません――あ、伝票は」
「いいよ。ここは俺の奢りだ」
「えっ、でも……」
戸惑ったように財布を手にする津川を制止し、江越が二人分の代金を払った。
「ごちそうさまでした」
店を出るなり、申し訳なさそうに頭を下げる津川に江越が苦笑する。
この春入社したこの新人は、最近の若者にしてはとても控えめだ。
だが言われたことはきちんとこなすし、物覚えもいい。控えめではあるが、真面目な仕事ぶりに江越はとても好感を持っていた。
「津川くんには、これから頑張ってもらわないといけないからね。これくらい安いものだよ」
「……ありがとうございます……嬉しいです」
江越が笑いかけると、津川は照れたように俯いてしまった。
(何だかなあ……)
たかだか数百円のことでこんな反応を見せられると、江越もどう返せばいいのか戸惑ってしまう。
江越は参ったなと頭の後ろへ手をやった。
「あの、僕……もっと仕事とか、たくさん覚えます! 課長から頼ってもらえるように頑張ります!」
「――あ、ああ」
胸元で手を組んだ津川が上目使いで江越のことを見上げた。
なぜだろう。江越にはこの新人のことが、たまに可愛らしく見えてしまうことがある。
津川がこれまで出会ったことのないタイプなので、ついつい目で追ってしまうのもあるが、江越に対して時折見せる照れたような表情であるとか、相手が男だとわかっているのにじっと見入ってしまいそうになる。
(いかん、いかん)
大学を卒業してから、何の伝手もなく今の会社に入社して十八年。
営業畑で外回りから始めて、仕事一辺倒で今までやってきた。
元々淡白な方ではあったが、四十になるこの年まで色っぽい話も数えるほどしかない。
男とはいえ新人が可愛らしいからといって、浮ついた気分でいてはいけない。
江越は雑念を払うようにぶんぶんと頭を振った。
「課長」
「――へ?」
「そろそろ戻らないと、昼休みが終わります」
ね? と津川が江越の方を向いて、こてんと首を傾げた。
到底、成人した男には見えない津川の姿に、江越の心臓がどきりと跳ねる。
「あ……ああ」
行きましょうと言う津川に手を引かれるまま、江越はフラフラと会社へと戻った。
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