1970年・秋 8

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ぱちん。爪を切る。  今日も帰れるかわからない、と言って夫は出て行った。  帰らず、家に寄って、着替えだけしてすぐ出ていく日も増えた。  わかっている、夫はあの女しか見ていない。  彼の背に消えない爪痕を残した女。  まだ元気な頃は見ないふりもできた。  三人が作る奇妙なバランス。  お互いが踏み外しさえしなければこの和は続いていくものと思っていた。  まやかしだったのだ。  私には情を、あの女には真心と愛を。夫はふたつながら得ようとした。  心と愛がもうすぐ死のうとしている。  いい気味。  ぱちん、ぱちんと爪切りで派手に切った爪を飛ばす。  今は夜。  この時間に爪を切ると人の死に目に会えないという。  死んでしまえ、ひとりで。  夫に看取られることなく。  そんなこと、絶対に許さない。  慎の妻はうつろな目で爪を切り続けた。
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