【8】求婚

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慎の入院  慎が倒れた、と学校から連絡を受けたのは、夕食の支度をしていた時だった。  ここ数年、彼は健康診断の結果が良くなく、不調を訴えることが多かった。肌つやも顔色も悪い彼を、気をつけて見守らなくてはと思っていた矢先の出来事だ。  ふたりが暮らしはじめて10年以上たつ。慎は夕食を高遠家で食べて泊まっていくのが当たり前になり、自宅のある青山と高輪を交互に渡り歩いている。  正妻と愛人、双方に顔をつないでいるわけだから、マメと言えばマメなのだが、彼が言うには青山の書斎の方が蔵書が多いから行きがかり上仕方がない、と。  全てをここに持って来たいんだよ、と毎日のように言うが、高輪の家は三人が暮らすのに少し広いぐらいなので、書庫丸ごとは引き受けられない。  彼は、教授という職業柄、所有する蔵書の量は半端なく多い。茉莉花は、床が抜けるし、今でさえ本が多いのにもっと足の踏み場がなくなるわ、と言ってはかわす。自宅への距離をとり続ける彼へ、遠回しに家へ帰る口実を与えているつもりだ。彼の魂でもある本を全てこちらで引き受けてしまったら、なおさら自宅へは戻らなくなるだろう。  しかし、今は本より、慎のことを考えなくては。  今すぐかけつけたい、けれど、一瞬、「行く」と言うのをためらった彼女に、電話先の武は言った。 「どうしても君の付添じゃないとイヤだって病人がごねるの。ちょっと、もめてね。悪いけど、そーいう訳だから。大丈夫、僕が玄関先であなたを迎えて病室へ案内するし」  それなら鉢合わせしても乗り切れるでしょ、と問われると否とは言えない。
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