第1"羽"  離"魂"届(り"こん"とどけ)

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少女は、校舎の屋上で迷っていました。 そして現在、とても驚いた状態で慌ててもいます。 その理由(わけ)と言えばフェンスに触れようと手をかける直前に、校舎の屋上という場所に相応しい強風と共に、顔に何かが顔に貼り付いた為となりました。 闇夜にいきなり、顔面にと貼り付かれるのは、所謂「心臓が止まるかと思った!」という衝撃と恐怖を伴う物でもありました。 驚きの余り、声にならない声というものをだして慌てて引き剥がし、仄かな月明かりの闇夜の中で、その薄くも確りとした質の"紙"の正体を目を凝らして確認します。 「……り、こんとどけ?」 「ああ、"離婚届"だな」 それまで何も気配は感じなかったのに(というよりは、顔面に貼り付かれてそれどころではなかったのもありましたが)、今度はいきなりライトを向けられて、再び驚きとその明るさと眩しさに反射的に、女子生徒は目を細めます。 ただ声は聞き覚えのあるものだったので、安心もしつつその方向を向きなおりました。 「あ!?根津先生!?」 聞き覚えのある声でしたが、姿を確認する事で更に安心感を増しつつ少女は担任の根津が、懐中電灯を片手に、担当教科の象徴にもなる白衣を着て、屋上の扉を開いて立っている姿を確認します。 「担任の夜回りに、夜間出入り禁止の屋上で出会したのが運のツキだ。 大好きな元担任の英語の或瀬先生と、蔵元先生が結婚するからって、17の童貞のまま人生を儚んで死ぬのは早いぞ」 「或瀬先生の事は好きですけど、ど、童貞は関係ないですよ!それに、私は女です!」 1年の頃から変わり者であると耳に入れてはいたのですが、実際担任になったなら、やっぱり変わり者だったと再認識する事になった人物は、生徒の言葉などどこ吹く風といった調子で距離を詰めてきていました。 「何を言う、童貞の文字通りの意味は"(わらわ)の如く操が(ただ)しい(ニアリーイコール)性的に純潔である"ということだぞ。 元々はキリスト教カトリック教会の修道女(シスター)を敬って言う表現であり、つまりが女性専用であったんだぞ。 次いでに言えば、聖母マリアの純潔を論じる際も"童貞"という表現が使われ、尼僧や聖母マリアを指して"童貞さま"と呼ぶこともあった……とりあえず、こっちこい。で、その離婚届をこっちに―――」 「あれ、でも、これ"偽物"みたいですよ、根津先生」 学年主任が仏教系だから反抗して(?)西洋の宗教の知識を無駄に持っている担任が、距離を詰めての"よこせ"と伸ばした手を無視して、(にわか)に冷静になった少女は、ライトが当たる事で"離婚届"をじっくりと見詰めます。 「これ、離婚の"こん"の字が、魂になってて、『離"魂"届』ってなってますね」 「へえ、やけに立派な、偽物か」 女子生徒の指摘に担任も興味を持ったようで、傍らに立って件の届けが更に見易くなるように照らしてくれました。 そうすると、これまで月あかりでは見えづらかった箇所も良く見えるようになりました。 「……あれ、保証人のところにもう署名してある―――あれ、或瀬先生と蔵元先生の名前?!」 こういった届けに保証人がいるのにも驚きましたが、その名前に二重に驚きつつ、少女は口元を押さえて食い入るように『離"魂"届』を見つめます。 「ええ!今から結婚する2人が、誰の離婚の保証人になるのよー」 「今まで、その2人が結婚するからと、フェンス昇って身を投げようしようとした奴が何を仰る」 根津は半ば呆れながら、自分の教え子から『離"魂"届』を取り上げて、生徒から玩具みたいだと例えられる眼鏡越しに、眼を細めて確認をします。 「で、しかもこれは離"魂"届だろう。或瀬も蔵元も誰の証人になるっていうんだ」 「あー、呼び捨て!」 少女自身も世間は細かく五月蠅くなったとと思いつつも、やはり教師が率先(?)して呼び捨てることに対して、物申しましたが、言われた方はどこ吹く風と言う調子の反応(リアクション)となりました。 「蔵元は高校の同期で、或瀬は後輩だからいーんですー」 「先生って、本当に三十超えてるの?」 未成年の自分が言うのがなんですが、余りに子供じみた担任の言い分に女子生徒は呆れます。 「三十半ばまでの心は十代のままなんだよ、それから一気に老いを自覚するんだよ」 尤もらしくいったところで、教師と生徒は言葉が途切れて、離"魂"届を改めてじっくりと見詰めました。
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