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―盛夏の険しい山道を登りながら、スクナビは昔の事を考えていた。数知れぬ村の歩荷(ぼっか)が往来したその道は、しかし木こりに分け入る爺達を含めても人に踏まれる事は余り無い。木々の根と落葉にまだ昼には早いものの、見事に晴れ渡った空からは、暑そうな日差しが燦々と降り注ぐ。
それを遮る楢(なら)や橡(くぬぎ)の木陰。鳴きしきる蝉の音。時折頭上を飛び去っていく、日雀や山雀。そのすべてを見るたびに、スクナビは懐かしさを感じていた。
足元には沢山の落ち葉と木の根が広がる。がさっ、がさっとゆっくりとした足音が、森の喧騒に溶け込んでいった。
スクナビは背中に大きな俵を背負っていた。背負子に二つ乗せられて、歩くたび右に左に緩やかに揺れるその中には、大量の塩が詰まっていた。重さにして、およそ二十五貫目程。
その、子供二人を背負うような重みに何ら屈せず、スクナビは玉汗をかきながらもう何里も歩いていた。
スクナビは海沿いの小さな村で一番の歩荷(ぼっか)である。村で作られた大切な藻塩を、山合いの村へ運ぶのが仕事であった。
普通であれば、塩は牛に乗せて運ぶものであった。それも、近くの山の村まで行って野菜に換えるためである。
だが、スクナビのゆく道は未だに三十里を残していた。正月に十と六つになった彼は、村のしきたりで最も遠い村へ塩を運ぶことになったのである。スクナビの歩荷としての能力は誰もが認めていたが、一人前の歩荷として認められるためには、この仕事をやり遂げるしか道はない。
そして、スクナビは村の長に尋ねられると、迷いなくこの仕事を引き受けたのだった。
「…っはあー!」
やがて日が真上にやってきたころ、スクナビは一つ山を登り切った。山の頂上は少し開けていて、木々の向こうに遠くの山並みと雲の連なりを見通す事が出来た。近くには道祖神の石積みと、大きな椚の木が並んで立っている。
大きな声を上げ、塩を大きく盛り上がった椚の根に置いてから木陰に寝転がった。木陰によって冷やされた草が、熱い体にちょうど良かった。
「ふうー…」
一つ大きな息を吐く。体の中から、どっと疲れが抜けるように感じた。
スクナビは静かに目を閉じた。不意に吹いた風が、麻布を通して体を乾かしていく。
この感じ、あの時と同じだ。再び目を開くと、彼は空に向かって優しく呟いた。
「見てるかい、爺ちゃん。やっとここまで来た」
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