温度

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「まだ今日は手だけだし。今日は別に…」 「何処触りたいの?」 「え、それはまあ、いろいろと。」 「何処触りたいの?」 「えっと…唇です。」 「ん?口を触るの?」 「いや、だから唇ね、触りたいんだよ。」 手を握ってない方の腕を少し動かしたが、すぐに岸は察知して体を後ずさりさせた。でもすぐにこちらに体を預けてくれた。 「どうやって触るの?」 「えっと、指でちょっとだけ。」 「ちょっとだけ?指だけでいいの?」 「まあ、とりあえずは。」 岸の目はもう見えていない。目線は合っていないはずなのに、岸の大きな瞳に映る自分を見て、何故か全てを見透かされているような、そんな不思議な気分になった。 岸は羽織っていた毛糸のカーディガンを脱ごうとした。 俺はすかさずその手を掴んだので、岸はびっくりした様子でこちらに顔を向けた。 いやいやいや、そこまではまださすがに知識がないんだってば。 「このままでいいから、じっとしてろよ。」 俺は、理性が飛ばないように、必死に画数の多い魚の名前を頭の中で唱えながら、岸の唇に自分の指をゆっくり這わせた。 「もう満足したの?」 「え?あ、とりあえず今日はこれで。」 岸はいつも俺にそう問いかけ、俺はいつもそれにふさわしい答えを考えながらなんとかそれに答えようとする。 普通触られた方が動揺するんじゃないのか。何で触ってる俺がいつもこんなに焦ってるんだよ。 「ほんとにいいの?」 「うん。とりあえず今日は。」 俺は携帯の画面を見て、今何時かを確認した。もうそろそろ帰らなきゃな。 「今日ね、お留守番なのです。」 「は?」 「だから、今日は一人なのです。」 「そうなんだ。それ大丈夫なのかよ。」 「だって、今日澤ちゃん来るって母殿には言っといたし。」 岸は自分の親を色々な言い方で呼ぶ癖があるが、“母殿”と言う場合は何かしらたくらんでいる時だということを、俺は秘かに知っていた。 「そうなんだ。母殿は何て?」 「“澤君いるなら安心ね”ってさ。」 「お前さ、その…」 「何?聞こえない。」 「お前俺とのことってその…言ってあんの?」 「言ってあるよ。」 「どんな風に。」 「好きな人って言ってある。」 好きな人ってことは、付き合ってるとは言ってないってこと…だよな。
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