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退院した日から僕は児童養護施設の自室に引きこもった。
何故かと言えば『言葉の色』イコール『心情』だからだ。人の心情が自然と見えることは、その人の本音が見えるということだ。僕はそれがとても嫌で仕方がなかった。
例を挙げるならば数日前、ここに来た時にこの児童養護施設の院長である岸(きし)という男が僕を出迎えた時の話だ。彼は僕に向かって「ようこそ」と笑顔で言った。
僕のことを歓迎しているのかと少しばかり期待してみれば、言葉の色は『嘘』という意味の黒色だった。つまりは内心は歓迎していないということは、目に視えて分かることである。
だが『言葉に色が視えて、その色が心情を表す』と言っても、誰にも信じてもらえないだろう。それに例え病院に行き眼科でこの事を相談したとして、すぐさま精神科に連れて行かれる気がする。運が悪ければ「何を馬鹿なことを」と病院から追い出されるかもしれない。
最も病院という場所は、患者をそんなぞんざいに扱わないだろう。だが、僕には別の不安があった。
検査を受けたりしても結局、何も分からないということ。僕にとってそれが一番の不安であり、恐怖だった。何も分からないことが、僕自身を否定されたような気がしたからである。
だから、月島先生には『見えている世界が白黒』としか話さなかった。
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