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雅宏はそんな声を無視して、ベットに圧迫されている乳首を摘まみぐりぐりと揉んだ。
「雅宏さん、もう許して!」
加奈子が苦しそうに叫ぶや、毛布を口に咥えて果てた。淫壺の襞が痙攣して雅宏の魔羅を締め付けてくる。
「もう、止めて、お願いだから来て! 死ぬう!」
加奈子が断末魔のようなよがり声を発して、また果てた。そんな加奈子を見下ろして、なおも突き続けた。
この程度で果てるとは、淫欲解脱旅の連れとしては不釣り合いだ。そんな思いが雅宏の脳裡をふっと掠めた。
第七十二番札所曼荼羅寺は、縁起によると、創建は四国霊場で最も古い。推古四年讃岐の領主・佐伯家の氏寺として創建され、初め「世坂寺(よさかでら)」と称していた。
弘法大師がこの寺を訪れたのは、唐から帰朝した翌年のこと。亡き母玉依御前の冥福を祈るためだったといわれている。唐の青龍寺にならって伽藍を三年掛かりで建立。本尊に大日如来像を祀り、唐から持つ帰った金剛界と胎蔵界の曼荼羅を安置し、寺名を「曼荼羅寺」に改めている。
また、四国霊場の古い案内書には樹齢千二百年を超す、弘法大師お手植えの「不老の松」の存在を紹介している。高さは四㍍足らずで直径が十七~十八㍍あり、菅笠を二つ伏せたような姿で、県の自然記念物にも指定されていた。しかし、松食い虫に浸食され、平成十四年に伐採された。
曼荼羅寺の近くには「水茎の丘」という丘があり、ここに庵をたてて七年余り暮らしていたのが西行法師。この寺に通い本堂前の平らな石の上でよく昼寝をしていたという。この石は「西行の昼寝石」と呼ばれ今も同じところにある。
またその横には「笠掛桜」と呼ばれる桜の木も。西行が都に帰る際、同行者が形見にと桜の木に笠をかけたまま出発したのを見て「笠はありその身はいかになりぬらんあはれはかなきあめが下かな」という歌を詠んだそうだ。
山門を出た所で礼の老人に出会った。夫人らしき人は見えなかった。
「奥さんは、どうなさったのですか」
雅宏が訊ねると、
「逃げられましたわ」
老人が悲しそうな声で話した。
「逃げられた?」
仲睦まじそうだった二人だが、一体何があったというのだろうか。
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