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「舐めてたんだな、……人間一つや二つは取柄はあるもんだ。人は見かけに寄らないもんだ」
「ごめん、といっているのに、ね、許して……」
「それにしても綺麗なスイングだった。とても初めてとは思えない」
「私ね、雅宏さんがゴルフ好きと分かったときから、いつか一緒に廻りたいと思って、テレビの女子プロの試合見ているの。プロのホームを録画して振っているの」
「クラブは買ったの?」
「古いクラブだけど、ママが持っていたから」
美春がゴルフをしていたとは知らなかった。
「そういうことか、宮里美香擬きのフォームだったからな」
「分かったんだ?」
思い込んだら命懸けってことか。うかうかしていると寝首だって掻かれそうだ。
「ナンマイダ、ナンマイダ……」
思わず胸の内で呟いていた。
第七十一番札所弥谷寺(いやたにじ)は、およそ千三百年前、人皇第四十五代聖武天皇の勅願より、行基菩薩が堂宇を建立し、光明皇后の父母の菩提を弔うため『大方広仏華厳経』をお祀りし、寺院を創建したといわれている。
また、華厳経以外にも、寺の経典の中には天平年間七二四年頃につくられた経典が残っており、すくなくとも七二四年以前には寺院が建立されていた事がうかがえ、弘法大師生誕(七七四年)の五十から百年前に弥谷寺が創建されたことが分かっています。
弥谷寺のある弥谷山は、古来より霊山(仏山)として信仰されたといわれ、日本三大霊場(恐山・臼杵(うすき)磨崖仏・弥谷山)の一つに数えられたとされる。
古来より人々は山々に仏や神が宿ると信じ、その山を霊山と呼び信仰の対象としたとされる。弥谷山の霊山信仰では『山域全体が仏の住む世界であり、水場横の洞窟が極楽浄土の入り口だといわれ、特別強く信仰された』とされ、霊山信仰を持った修験者により刻まれた磨崖仏がいまも無数に点在している。
また、こういった信仰は現在も残され、水場の洞窟に水経木と呼ばれる真言を書いた木札をお供えし、山頂から流れ落ちてくる霊水で、経木を洗い清めることで(お水まつり)、子孫末裔が安穏(幸せ)に過ごせるよう、多くの方が参拝している。
参詣が終わると五時前だった。車に乗ってきたせいで、今日一日で六ヶ寺を廻ったことになる。ゴルフ練習場に行っていなければ、あと一ヶ寺は廻れていただろう。
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