半年前 -あの子がいなくなった-

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 それなのにここには汐ノ香がいる。永遠にいなくなったはずの天使。  そして彼だけでなく、誰の手も取らなかった彼女が、ザイと共にいる。水燬という、たった一人の息子まで一緒に。 「……たった、一人……」  そこで彼は、怪訝そうな彼女に、抑えることができずに尋ねてしまった。 「レイ姉ちゃん……水華、は……?」  彼がザイと共に助けに向かった少女。それは本来、彼女の血を受け継ぐ魔物なのだから。 「水華? 誰なの、それ?」  きょとんとしている彼女に、彼は確信してしまう。  ここはその少女がいなくなった世界。代わりに、彼の大切な者が存在する世界なのだと。  様子のおかしい彼を心配するように、彼女が掛物を持ちながら傍らに立った。それなのに彼は、まだあの森にいる心のまま、食ってかからずにはいられなかった。 「誰、って。レイ姉ちゃんは、それでいいの?」 「――?」 「ザイ兄ちゃんは、水華を助けに行ったのに。レイ姉ちゃんにそっくりだから……同じ力を持っているから――」 「……翼槞?」  自分がおかしいのだと、彼はわかっている。それはここにいる、「この世界の彼」が持つ願いではない。一声ごとに、彼の本性が軋むように、体の奥に大きな痛みが走った。  それでもその願いを、ないことにはできなかった。 「だからオレは――水華を、助けたかったのに」  このままここにいてはいけない。あの少女がいなくなってしまう。  不安定な人造の化け物を「水華」と成立させるまでに、これでも結構苦労したのだ。関わったのは彼だけではなく、少女の存在には様々な者達の願いが込められている。現在欠員の「守護者」にすること、その約束と引き換えに多くの者の力を借りた。  だから少女がいない世界を、そう簡単には認められない。そんな彼に、何も知らないだろう彼女が、最も深い反論を告げた。 「……アナタが助けるべきは、汐ノ香でしょう?」  ぐさり、と胸を刺された気がした。いないはずの者がいて、いるはずの者がいない世界。  どうして迷い込んだのかは知らない。ここにいたい、汐ノ香の「鍵」でありたい彼も確実に存在している。むしろそちらこそが、彼本来の望みだ。  それだからこそ、こんなに平和で、夢のような時間が在り得るのだろうと……。
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