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 少年は当初、不本意だった。  近場だが慣れない京都に一人で来て、顔見知りの占い師を探したまでは良かった。しかし行き道で謎の人形来襲事件に巻き込まれ、結局占い師には会えなかった。  更にはそこで、烏丸蒼潤(からすまそうじゅん)という剣士見習いに加勢したばかりに、蒼潤の父である頼也(よりや)のいる「花の御所」に身柄を引き取られてしまった。  早く帰りたい。そう思いつつも、気絶している間に獄舎に運ばれたせいで方角も現在地もわからない。転々と商売地を変える占い師が、あの日いたはずの場所も説明できない。迷子状態なのは「花の御所」にいても変わらず、門の内側で座り込んだまま、長居する気はないと行動で示すことしかできなかった。  少年を無理やり運んだ侍、山科幻次(やましなげんじ)には一人娘がいた。同年代の娘はそんな少年を何とか御所内へ迎え入れようと、今日も説得しにやってきていた。 「ねぇ、ちょっと。いい加減、ずっとそこにいられると迷惑なんだけど」 「……」  凛とした声のきつい口調。侍譲りのさらさらの赤い髪は、ジパングの娘には珍しい短かさで、座り込む少年の前で小袖の裾を押えてしゃがんでいる。少年の異国語が通じる不思議な公家、叔父だという者と同じ黒の目で覗き込んでくる。 「アンタ、ここに来てから何も食べてないでしょ? この御所で客人にそんな扱いをするわけにはいかないの。記憶が無くて、帰る場所がわからないなら、ここにいてもらうしかないんだから。いい加減諦めて言うことをきいてくれない?」  少年は、自身が何者かが元々思い出せない。半年前に化け物の養父母に拾われ、ジパングの一角に先日まで暮らしていた。  しかしジパング語は全然わからず、養父からもらった翻訳機を左耳につけている。それで言葉だけ聴けば、少年をこのまま放置すれば自分達の沽券に関わる、娘がそう言っていることはわかった。 「ちょっと、ねえ。聴いてるの? そもそもまず、名前くらいは名乗りなさいよ」 「…………」  言葉はきついが、娘の感情は全く苛立っていない。むしろ、少年が何者であるのか、何としても聞き出して力になろうとしている。それはすぐに、この正体不明の少年には伝わっていた。  少年は目前にいるもの、もしくは周囲にあるものの感じていることを、共に感じる謎の感覚がある。養父はそれが「直観」という特殊感覚だと教えてくれたが、その直観は少年に、娘に対して、一つの返答しか必要とさせなかった。 「……別に、ツグミが心配することじゃない」 「――って……え?」  膝の間に埋めていた顔を上げ、まっすぐにそれだけ言う。  少年を覗き込んでいた黒い目が、ぱっと見開かれた。突然の正視に驚いたらしい。加えて娘は、反感を買うことを承知で強気に接しており、穏やかでも全て見透かすように返した少年に、顔中を一瞬で赤らめてしまった。  山科幻次の娘の「(つぐみ)」。一応御所では最上位の侍の姫で、本来なら様付けされるべきその名を、身内以外で最初から呼び捨てにする無礼者もそうそういないようだった。 ――あ……そういうこと、なのか。  赤面したこと自体も恥ずかしいように、娘は顔を押えてばっと立ち上がり、走り去ってしまった。  どうしてわざわざ、お節介な内面とは裏腹に怒ったような言い方をするのかと思っていたが、そもそも異国の異性と話したことがほとんどないと見えた。緊張で虚勢を張っていたのだ。  少年を力ずくで連れてきた公家もそうだが、どうやらここの人々は、少年のような埒外者を放っておけないらしい。それは治安の維持のためでもあるが、おそらく多分、度が過ぎたお人好しの集団なのだ。  ふーん。と少年が、感慨にふける暇もなかった。 「――おい、てめえ。うちの可愛い娘の忠告を無視するからには、それ相応の覚悟があるんだろうな?」  目の前には、両手をぽきぽきと鳴らす山科幻次と、硬派な無表情ながら熱い目をして竹刀を握る烏丸蒼潤がいた。  そしてこの後、御所筆頭の剣士達にぼこぼこにされた少年は、山科幻次の二番目の弟子となった。帯剣も認められ、黒衣の上から剣を下げる紫の袴を履いた姿で、束の間の居場所を与えられることになる。 +++++
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