3人が本棚に入れています
本棚に追加
/165ページ
本来の川辺では、剣士の少年に、突然女の姿が見え難くなるという異状が起こっていた。それが記憶に介入された不正手段だと、知る由もない剣士の少年が苦戦する一方で。
――……かわいい……お友達、みんな、かわいい……。
「あなたは……ラピちゃんの、ご家族ですか?」
裸足でクスクスと拙い足取りの、尋常でない様子の女に、幼女の手をひきながら恐る恐る帽子の少年が声をかけた。
「おかしいな……僕には、悠夜君達みたいな霊感はないのにな」
「……」
それは霊ではなく、ただ黒い女の内に迷い込んだ、残像だけの世界であると幼女にはわかっていた。
――シルファのお友達、かわいいから……守ってあげたい……。
「えーと……シルファって確か、ラピちゃんの名前ですよね?」
声をかけた帽子の少年に、とても幸せそうに微笑んだ女は、声が聞こえているように見えなくはなかった。
「どうしよ、猫羽ちゃん。何か凄いホラーな感じだよね」
あえて冗談っぽく言う帽子の少年は、全身の強張った幼女を少しでも、落ち着かせてやりたいようだった。
それでも女の、次の声は――
――シルファのせいで……。
「――え?」
――シルファが心配で……私は、あの人の所にいけないの……。
「……え?」
その昏く歪んだ想いの声は、少年は聞き逃すことができなかった。
――一人にするのは心配だから……一人は可哀想だから……。
「……お母、さん?」
その手に持った真っ赤な刃物。誰の血を吸った凶器であるのか、胸が痛む幼女には声にできない。
――あなたの、せいよ…………。
その声には悲しみと、狂おしいほどの心配だけが満ちていた。
誰にも知られず、消えることを願った誰かを待っていた女は、
――……ねぇ。お願いが、あるんだけど……。
誰かそのものを消してしまうことが、救いであると迷わず結論する。
――あの子のこと――……忘れてほしいの……。
開き切った藍の瞳が、誰かの消えない望みを告げた。
「って……そんなの、おかしいよ――……⁉」
帽子の少年は、ただそこにある絶望に叫ぶ。
取り返しのつかない大きな間違い。その救いを受け取ってしまった者へ。
「忘れるなんて――そんなの、できるわけが……!」
誰かによく似た女の願いは、誰かを確かに導くものでも……それは似て異なる藍と深い青色。互いの遠さを示すだけの目。
決して交わることのない心を映す、孤高な空の青い光と、暗がりの空虚な川辺だった。
最初のコメントを投稿しよう!