~とある美術教師の回想~

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 そして更に時が流れ、バナナは既に原形をとどめることなく、最早バナナとは呼べない、別の『何か』になり、リンゴは萎れ、形は崩れていた。  辛うじて、黒く変色した表皮の一部に、赤みをとどめることで、自らが『リンゴ』であったことを主張しているかのような姿を、僕に見せていた。  寂寥感。美しきものが老いて朽ち果てていくその様を一言で言い表すのに、これ以上のものは見つけられない。僕はひょっとしてこの時、泣いていたのかもしれない。  そんなある日、何時ものようにリンゴとバナナのスケッチをしていたところに、学校から帰ってきた姉が、何の前触れなく僕の部屋に入ってきた。  一瞬、時間が止まるのを感じた。姉は無言のまま、僕の描いた幾冊かのスケッチブックを手に取り、一頁、一頁、丁寧に眺めたあと、僕を抱き締めた。  その腕が、震えているのを感じた。多分、泣いているのだと思った。 『……なに、泣いてるの?お姉ちゃん』  僕は、問いかけた。なぜ泣いているのか、この時はよく分からなかった。 『ごめんねぇ。本当に、ごめんねぇ~!』  僕の言葉に、姉は声をあげて泣きはじめた。もう一人にしないから、お姉ちゃんが一緒だから。  姉はそう言いながら、僕を強く抱き締めた。僕は訳がわからないまま、その時はただ、 『うん』  とだけ、答えていた。僕はこの時、泣いていたのだろうか。
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