第1章

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を招き入れたのか? どうなんだ?」 耳元で囁かれて、私は答えに困りましたが、このためらいを見せてはいけません。ほんの少しの間を置いて、クスッと口元をゆるめ。 「私にはなんのことだか、わかりません。なんせ、よそ者ですから、坊主様と言われてもわからないのです」 答える。坊主様、坊主様、坊主様と何度も頭の中で繰り返しながら、 「はっ、そうだったな。お前は知らないのだったな」 酒に酔った村長は言いました。坊主様とは、かつてこの村にいた高名なお坊様でした。 皆に優しく、訳へ立てなく他人を慈しむ心はまるで仏の生き写しのようでした。ですが、この世は生きにくいもの、そのような人こそ困難を与えるものです。 困難、飢饉でした。その年はまったく魚が捕れず、蓄えをなくなっていきました。大勢の村人が飢えに苦しみ、病気で死にました。心優しいお坊様は、このことに心を痛め、言ったそうです。 『私が、人柱となってこの海に参りましょう。人のために生き、仏になれるのなら本望です』 誰も反対することはできませんでした。人一人、減るだけでも、そのぶん他の人への食料が行き渡ります。 何より、彼が仏となってこの海を沈めてくれるのなら自分達は生き残ることができます。 大きな天秤がありました。大勢の命を失うか、それともたった一つの命を生け贄に助かるか。本当は誰もが、心のどこかで思っていました。誰かが生け贄になれば、海の神様の怒りをおさめることができれば自分達は助かる。 けれど、そんなこと誰が言い出せるのでしょう。人一人の命を犠牲に生き延びるだなんて愚考を誰も言い出せません。だから、お坊様の言葉は助けに船だったのです。 村人達は皆で大きな船を作りました。死後の世界に逝っても困らないように、寂しくないようにと大きな、大きな屋形船を作りました。 船は巨大な大木を内部をくり貫いて作られます。外側から蓋をしてしまえば、もう二度と出ることはできません。それが仏のもとへ向かうことなのです。けっして逃れられない状況で死ぬ。大勢の人間達の命を救うために死ぬ。 大儀でした。名誉なことでした。心優しいお坊様のおかげで飢饉は去り、しだいにお坊様のことも村人達は忘れていったそうです。 「そのような、ことがあったのですね。初耳でした」 「まぁ、ほとんどの村人も知らないがな、よけいなことを言っても混乱するだけだ。誰にも言うなよ」
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