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のしかかるように倒れた机の下から抜け出すと、目に見える全てが火の海だった。立ち込める黒煙がデスクより上の視界を覆う。こんなところにあってはならないコンクリートの瓦礫とガラス片がそこらじゅうに散乱している。舞い上がる紙屑、木っ端微塵に壊れたパソコンやコピー機、そして――焼けていく人々。
助けてくれ、ああ神様、熱い、痛い、苦しい、早く楽に――阿鼻叫喚の叫び声が辺りにこだまする。彼等に終末の時を知らせるかのように、ギィィィーーーー……、と低く長く建物の軋む音。こんなに天に近い場所にも地獄が存在するなんて、数分前に一体誰が想像しただろうか……。
ついさっきまでコーヒーを手に笑いあったり、デスクから怒鳴り散らしたり、廊下の隅で泣いていたり、書類を抱えて困り果てていたりしていたのに、それは突然断ち切られてしまった。
一体何が起こったの、どうしてこうなったんだろう、自分たちがいったい何をしたというの……。その問いかけに答えるものはいない。ただ一つ分かっているのは、終わりの時はもう間近に迫っているということだけだ。
げほ、げほっ、と吸い込んだ煙に思わず咳をする。慌ててハンカチで口を覆うも、すでに手遅れらしく血が混ざった痰にむせ返った。
このまま何も出来ずに自分は死んでいくのか。せめて、あの人に最後の言葉を伝えなければ。あの場で答えられずに持ち帰ってしまった言葉を、あの人に届けないと。
思うように動かない足を引きずって、煙の流れていく方向に進む。固定電話に手をかけたまま目を閉じた隣席の同僚から目を背け、毎日水をやっていた観葉植物を踏み台に、すすだらけで真っ黒のガラス張りの窓に辿り着いた。
縦横に大きく亀裂の入った強化ガラスの一部に穴が開き、煙は天井近くの隙間から外に流れ出していた。最後の力を振り絞って鉢植えを投げつけると、高度400メートルの強風に耐えてきたガラスはあっけなく崩れて、最早自分が立つことのない遥か下の地面に落ちていった。
そのとき偶然にも一瞬の風がビル全体を覆う黒煙を吹き飛ばし、夏の陽光に煌く摩天楼が眼下に広がった。新鮮な空気が一気に建物の中に流れ込んできて、呼吸が少しだけ楽になる。震える手で携帯電話の番号を押して、何度もリダイヤルした末にようやく声を聞きたかった人に繋がった。
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