piece1

6/9

7人が本棚に入れています
本棚に追加
/38ページ
バス停に着く頃には、耳に残っていた鴉の嗄れ声は、消えていた。鼻に残っていた饐えた臭いも、今では排気ガスに取って代わられている。 いつもと同じ顔触れの並ぶバス停は、しかし、誰もが互いに無関心で、どの視線も交わる事はなく、バスの到着を待っていた。その中で、一組だけ、僕に向けられる視線があった。 「あの……おはようございます」 「ん? ああ、おはよう。あれ? 三好さんはこのバスだったかな?」 「いえ、あの、」 三好遥香は、僕が教鞭を執る高校の生徒だ。方向が違う事は、当然知っている。わざわざ僕に会う為に、朝早く家を出て、ここに来たのだろう。その理由の見当は、おおよそ付いていた。 「こうた……あ、森本くんの事なんですけど」 森本航大は、彼女の幼馴染みだ。しかし彼女が、それ以上の好意を彼に対して持っている事は、周知の事実だった。 「その話はこの間もしたと思うんだけど?」 「そうなんですが、でも」 そこにバスが、ゆっくりとスピードを落としながら、近付いてきた。そして計ったかのように、その乗降口を、停留所の正面にして停車する。 大きく息を吐きながら、乗降口が開いた。 この時間、もう一方の乗降口から出てくる人の姿はなく、停留所の前に並んでいた人達が、見る間に飲み込まれていった。僕も彼女を促し、バスに乗り込む。その足が、ステップを踏むか踏まないかで、また嘆息を吐きながら、その扉は閉じられた。
/38ページ

最初のコメントを投稿しよう!

7人が本棚に入れています
本棚に追加