こいのぼり

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「本気か?」 最終の新幹線に乗ったところで、そこから更に時間のかかる田舎町なのに。 「ホテルの予約取ってありますから」 いやに準備のいい妻の足元で、帽子を目深にかぶった息子が俯いていた。 「あらヤダ。鯉のぼりをしまい忘れていたわ」 最後の戸締りを点検していた妻が、大げさなリアクションで慌ただしくベランダに出て行った。 「鯉のぼり・・・」 息子が産まれた時に買った、かなり立派なものだ。 『こんなパチもんみたいなこいのぼり嫌や!』 幼い頃の自分の声がまた聴こえた。 『何やの。これも鯉のぼりやないの』 自分が欲しかったのは、空を気持ちよさそうに泳ぐ鯉のぼり。 庭に支柱を立てるタイプの、大きなものが欲しかった。 狭い長屋住まいでは到底不可能なものだったのだが、当時の自分は欲しくて仕方がなかったのだ。 「大きい真鯉はお父さん・・・」 「え?」 思わず歌を呟くと、キョトンとした瞳で息子が私を見上げた。 「なんだ、知らないのか“こいのぼり”の歌を」 久しぶりに見る息子の瞳の、無垢な澄んだ眼差しに少したじろいでしまった。 『とーたん』 私をそう呼んでいた頃と、全く変わらない純粋な瞳。 「屋根より高い 鯉のぼり 大きい真鯉は お父さん」 妻が慌ただしく鯉のぼりをしまうのを見ながら、ゆっくりと歌詞を口ずさむ。 「小さい 緋鯉は 子供たち 面白そうに 泳いでる」 短い歌を歌い終えた私の服の裾を、息子が二度引っ張る。 私に構って欲しい時の、息子の合図だ。
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